久しぶりに自分のブログを訪れた。
もう3週間も書いていなかったようだ。
その間、下書きに手を加えることもしていなかった。
最近はなんだか、美咲にあまりに申し訳なくて…
美咲に本当に、悪いなと思ってる…色んなことを、後悔してる。
美咲自身はもういいよと言ってくれることでも、自分の中ではどうしてもそうは思えなくて
俺は色んな事を思い返しては、自分はダメだと思ってる。
俺はかなり…ダメだと思う
ちょっと自分を、ちゃんとしないといけないって思う
本当に色々とごめんね。
ごめんなさい…
2017年4月24日月曜日
2017年4月3日月曜日
partir
ついに春休みが終わった
ずっと休みだったという割には短く感じたかもしれない
でも色々なことがあった
2月17日も、一つの大きな思い出
俺自身は成長できただろうか、
俺は自分じゃ成長できた感じはしなかった
でも俺は今回の休みは結構勉強はできたと思う
考えてみれば、俺は春休みが始まる前は全くフランス語など読めなかった
だけど今は、語彙力こそないが、文法事項は大体わかるようになったと思う
フランス語においてはかなり成長したと言える、ほぼ0からのスタートだったから。
多分、大学で勉強する初習外国語の、少なくとも1学期分の授業時間と、テストに向けた平均的な家庭学習時間の合計は、俺はこの春休みで突破したと思う。
俺はほとんどの文法事項を一通り学習しただけだから、しばらく前にやった不規則動詞の人称変化や文法のテストを受けたら、あまり点は取れないと思う
だけど、多分大学でフランス語をとっていた人たちよりもたくさん文法事項を知っていると思う、
1年間の授業では、俺がやったところまでは来られないというのが実際のところだと思う。
ただ、定着度の面では大学でとっていた人の方が上だと思う。
俺はテストのない環境でやっていたから、覚えなければならないという必要性に駆られて頭に叩き込むということが無かったから。
だけど俺の予定というか計画では、もちろんこの全行程を春休みで終えるつもりでこそなかったが、
一通り今の教材に載っていることを勉強する→各Leçon(ルソン、レッスンのこと)の練習問題をすべてもう一度解く→分からなかったところを中心にもう一度勉強する→違う教材の問題などを解き、すべての文法事項を定着させる→語彙力の強化→仏検の準備→仏検
の流れが、俺の中では理想の「外国語学習」と言える。
これは俺の性格の問題だが、品詞を問わず単語の意味よりも文法をまず頭に入れて、文を構成する骨格さえ作り上げれば、あとはそこに様々な単語を当てはめていくだけでどんな状況も説明できるようになる…と思っているから、俺は語彙の学習を後順位に回しがちである…
それに、抽象度の高い勉強をした方が、フランス語以外の学習に利益が生まれると思う。
俺はこの世に「勉強」は一つしかないと思ってる。それに、俺たちが耳に聞く「学問」と名を冠しているものは、現代では各分野の学者によってきちんとした体系化が為されているから、一つの学問に興じたことで得られた原理や…あるいは方法論は、他の分野においても往々にして有用であるのではないだろうか?
俺は何の学問も全く極めてはいないけれど、すべての学問は同じ姿を持っているのではないかと思う。
実は、これは俺が大学受験に向けて勉強している間に気付いたことの一つでもある。今ではすっかり忘れてしまった世界史の勉強から気付かされたことは大きかった。
今では俺はダメだけど。なんだか、俺は前にもブログで話したような、「抽象度の高さ」に惹かれるだけで、俺が今本当にすべき「抽象度の低い」勉強が手に付かなくなってるとも言える。
法学なんてその最たるものだ。法と哲学は切っても切れない関係にあるが、俺のような学生にとっては高みにそびえる哲学者の言葉を吟味するよりも具体的な事象を勉強するほうがかなり、相当、めちゃくちゃ、大事だ。
その点、言語学は俺に、「法学ではまだまだ味わえない楽しみ」を提供してくれる。俺の中での学問的な面白さがある。しかしあれももちろん、具体的事柄に強い基盤をもった学問であることは言うまでもない。だが、諸言語に共通する原理を問うとなれば、むしろ具体的事象を離れて抽象的な考え方がかなり要求される。言語学はかつて(近代以前まで?)、科学と呼ぶには値しない学問だった。かつての伝統的な言語学(中でも形態論や統語論においてだろうか?)ではラテン語やギリシャ語の高名な古典を研究し、それを規範にして文法を勉強し、あくまでそれらの古典こそが「規範」であると断言して疑わず、実世界におけるその規範に従わない言語を「誤り」と見なしてきた経緯があったのがその根拠と言える。近代では逆に、それらの「規範性」は無いと考えられ、実世界の観察に基づく動的な形態論・統語論の構築が為されていた―のではなかったのだろうか。俺はよく覚えていない。
(ここに色々書いていたのだが自分の理解が間違っているかもしれないことに気付いて消した。)
(上に書いてあることも間違っている気がしてきた。これだから俺はダメだ)
加えて、俺の読んでいる「言語学入門」は今となってはもう古い本である。今、言語学と一口に言うとそれはものすごい数の論文を持ち、言語学者であってもすべての分野を網羅することはできないとまで言われている。そんな中で、もしかしたら俺が読んでいるこの本に書いてあることも、もう覆されているかもしれない。
言語学はおそらく混沌とした学問である。文系でも理系でもない、いわば「学際的な」学問であるらしい。というのも、言語自体の研究は文系っぽいけど実際発話を聞き取って脳内で処理するとかなると、それは音響学とかも必要になるし頭の中の処理においては思いっきり理系だから。
俺はなんでこんなことを書いているんだろう。
まあこれも比較的最近ではあるけれど、春休み中に学習したことの一つでもある。
だが俺は…ほうがくぶである
この間買った刑法総論よりも、言語学入門の方をかなり読んでる。
「言語学入門」「素粒子」「文法から学べるフランス語」この3冊は俺に多大な影響を及ぼした。
まあこれもある意味、気休めに過ぎない
自分の進路とかそういうヤバいことを棚の上に置いておく方法の一つ、というべきか…
でももちろん
何を読んでも、何を学んでも、俺の頭の中には美咲がずっっっといるよ。
俺の中で何よりもだいじなものだからね…
頭から美咲が離れるわけないよ。
まあとにかく今回は、収穫のない長期休暇ではなかった。
勉強もしたし、なにより美咲と幸せな瞬間をたくさん過ごせたしね。
まだまだ俺は、まだまだずっと美咲と一緒の時間を過ごしていたいよ
一緒に出掛けよう。手を繋いで歩こう。目が合って、キスをしよう…
また美咲の体が…回復してくれることを、何よりも望んでる。
俺は俺なりに、がんばるよ
ずっと休みだったという割には短く感じたかもしれない
でも色々なことがあった
2月17日も、一つの大きな思い出
俺自身は成長できただろうか、
俺は自分じゃ成長できた感じはしなかった
でも俺は今回の休みは結構勉強はできたと思う
考えてみれば、俺は春休みが始まる前は全くフランス語など読めなかった
だけど今は、語彙力こそないが、文法事項は大体わかるようになったと思う
フランス語においてはかなり成長したと言える、ほぼ0からのスタートだったから。
多分、大学で勉強する初習外国語の、少なくとも1学期分の授業時間と、テストに向けた平均的な家庭学習時間の合計は、俺はこの春休みで突破したと思う。
俺はほとんどの文法事項を一通り学習しただけだから、しばらく前にやった不規則動詞の人称変化や文法のテストを受けたら、あまり点は取れないと思う
だけど、多分大学でフランス語をとっていた人たちよりもたくさん文法事項を知っていると思う、
1年間の授業では、俺がやったところまでは来られないというのが実際のところだと思う。
ただ、定着度の面では大学でとっていた人の方が上だと思う。
俺はテストのない環境でやっていたから、覚えなければならないという必要性に駆られて頭に叩き込むということが無かったから。
だけど俺の予定というか計画では、もちろんこの全行程を春休みで終えるつもりでこそなかったが、
一通り今の教材に載っていることを勉強する→各Leçon(ルソン、レッスンのこと)の練習問題をすべてもう一度解く→分からなかったところを中心にもう一度勉強する→違う教材の問題などを解き、すべての文法事項を定着させる→語彙力の強化→仏検の準備→仏検
の流れが、俺の中では理想の「外国語学習」と言える。
これは俺の性格の問題だが、品詞を問わず単語の意味よりも文法をまず頭に入れて、文を構成する骨格さえ作り上げれば、あとはそこに様々な単語を当てはめていくだけでどんな状況も説明できるようになる…と思っているから、俺は語彙の学習を後順位に回しがちである…
それに、抽象度の高い勉強をした方が、フランス語以外の学習に利益が生まれると思う。
俺はこの世に「勉強」は一つしかないと思ってる。それに、俺たちが耳に聞く「学問」と名を冠しているものは、現代では各分野の学者によってきちんとした体系化が為されているから、一つの学問に興じたことで得られた原理や…あるいは方法論は、他の分野においても往々にして有用であるのではないだろうか?
俺は何の学問も全く極めてはいないけれど、すべての学問は同じ姿を持っているのではないかと思う。
実は、これは俺が大学受験に向けて勉強している間に気付いたことの一つでもある。今ではすっかり忘れてしまった世界史の勉強から気付かされたことは大きかった。
今では俺はダメだけど。なんだか、俺は前にもブログで話したような、「抽象度の高さ」に惹かれるだけで、俺が今本当にすべき「抽象度の低い」勉強が手に付かなくなってるとも言える。
法学なんてその最たるものだ。法と哲学は切っても切れない関係にあるが、俺のような学生にとっては高みにそびえる哲学者の言葉を吟味するよりも具体的な事象を勉強するほうがかなり、相当、めちゃくちゃ、大事だ。
その点、言語学は俺に、「法学ではまだまだ味わえない楽しみ」を提供してくれる。俺の中での学問的な面白さがある。しかしあれももちろん、具体的事柄に強い基盤をもった学問であることは言うまでもない。だが、諸言語に共通する原理を問うとなれば、むしろ具体的事象を離れて抽象的な考え方がかなり要求される。言語学はかつて(近代以前まで?)、科学と呼ぶには値しない学問だった。かつての伝統的な言語学(中でも形態論や統語論においてだろうか?)ではラテン語やギリシャ語の高名な古典を研究し、それを規範にして文法を勉強し、あくまでそれらの古典こそが「規範」であると断言して疑わず、実世界におけるその規範に従わない言語を「誤り」と見なしてきた経緯があったのがその根拠と言える。近代では逆に、それらの「規範性」は無いと考えられ、実世界の観察に基づく動的な形態論・統語論の構築が為されていた―のではなかったのだろうか。俺はよく覚えていない。
(ここに色々書いていたのだが自分の理解が間違っているかもしれないことに気付いて消した。)
(上に書いてあることも間違っている気がしてきた。これだから俺はダメだ)
加えて、俺の読んでいる「言語学入門」は今となってはもう古い本である。今、言語学と一口に言うとそれはものすごい数の論文を持ち、言語学者であってもすべての分野を網羅することはできないとまで言われている。そんな中で、もしかしたら俺が読んでいるこの本に書いてあることも、もう覆されているかもしれない。
言語学はおそらく混沌とした学問である。文系でも理系でもない、いわば「学際的な」学問であるらしい。というのも、言語自体の研究は文系っぽいけど実際発話を聞き取って脳内で処理するとかなると、それは音響学とかも必要になるし頭の中の処理においては思いっきり理系だから。
俺はなんでこんなことを書いているんだろう。
まあこれも比較的最近ではあるけれど、春休み中に学習したことの一つでもある。
だが俺は…ほうがくぶである
この間買った刑法総論よりも、言語学入門の方をかなり読んでる。
「言語学入門」「素粒子」「文法から学べるフランス語」この3冊は俺に多大な影響を及ぼした。
まあこれもある意味、気休めに過ぎない
自分の進路とかそういうヤバいことを棚の上に置いておく方法の一つ、というべきか…
でももちろん
何を読んでも、何を学んでも、俺の頭の中には美咲がずっっっといるよ。
俺の中で何よりもだいじなものだからね…
頭から美咲が離れるわけないよ。
まあとにかく今回は、収穫のない長期休暇ではなかった。
勉強もしたし、なにより美咲と幸せな瞬間をたくさん過ごせたしね。
まだまだ俺は、まだまだずっと美咲と一緒の時間を過ごしていたいよ
一緒に出掛けよう。手を繋いで歩こう。目が合って、キスをしよう…
また美咲の体が…回復してくれることを、何よりも望んでる。
俺は俺なりに、がんばるよ
2017年4月1日土曜日
登録:
投稿 (Atom)