今回は前から書いていた、鬼のアルバム「火宅の人」の最初の数曲を自分なりに割と深く考察したものを投稿しようと思う
読み辛いところもあると思うし、それに鬼の世界観をよりリアルにするために特に歌詞については難しい漢字も敢えて使ったからお手数をおかけしてしまうかもしれません。
それでもやっぱり特にこれらの曲はまさに、それっぽい言葉をかっこよく並べただけの中二病的な薄い内容では決してなくて、本当に「文学」と言うに値するほどの内容を持っていると個人的に思うし、読めば読むほど色んな解釈、指摘が可能であってここに書ききれないこともあるとは思います。
壮絶で本当に苦しんだ鬼の人生とは正反対のような、何も経験していない甘ったれた幸せな生活をしている自分がこうして偉そうに考察を書くのは誠に僭越で、おこがましくて、こうして勝手な解釈を垂れ流すのは恥ずかしい限りだけれど、それはどうか一個人の稚拙な感想として寛大に受け止めていただきたいです…
書くのに時間がかかったし、きっと読むのにも時間がかかってしまうと思います…ごゆっくり読んでください。
懊悩 / 鬼
懊悩、それは悩み悶えること
または煩悶、それは悩み悶える様
憎しみの連鎖、断ち切る苦しみ
足掻くイメージ 未来、選択する意味
所詮一人、刻々と変わるシナリオ
どう生きても今日も明日には過ぎた昨日
怯えてた、投げ槍なバイオレンス
テンパるサイコパス、出生のオーディエンス
女の嘘に躍る純情に気圧され 独り善がりじゃ、何を抱いてもダメ
狡猾な唇、雌蕊揺らす百合の花
首筋で抜けた、薬指の穴
矛盾に見えた、隙を突く淫猥
赤い回転灯、浮かぶ歌舞伎町の深海
足元がぐらつく、手元が震える
無意識な表層化、ああ、気が狂っていく
実感としての 非日常はある日
悲しいほど、笑ってたらしいタクシー
誤魔化し隠し君は偽る、
目前の選択肢に 死が居座る
僕を抱き締める、不埒な愛のベッド
暗がりのベッド 壊れる、マリオネット
脳髄が作る、心という概念
新宿サブナード、鳴り響くサイレン
地表は青空、雑踏、耳鳴りが
止まず覆うガード、空港が走り出した
脈絡のない、癪に障る残像 は消えない不安と、燃え尽きたブラント
妄念や嘘、シュールや、フィクション
今日も普段通り、絡め取るアディクション
濁流は悪辣、引き込むスパイラル
私と僕が、俺の中喰らい合う
支離滅裂泳ぐ情念の河
次の朝溺れる、小便の泡
血も境遇も薄情で無感性
母の死体を、眺め呷るブランデー
吐いて踏みつぶす、人並みの幸せ
妬まれるほど、野心抱いただけ
血も境遇も薄情で無感性
母の死体を、眺め呷るブランデー
穿いて踏みつぶす、人並みの幸せ
妬まれるほど野心抱いただけ
血も境遇も薄情で無感性
母の死体を、眺め呷るブランデー
懊悩は鬼の出所後2017年のアルバム「火宅の人」の一曲目に収録されている曲。この曲は途中まで比較的抽象的な印象の内容を描くのみで具体的な事件や一貫した物語に触れられていないように見えるが、最後の部分で「母の死体」という言葉を含む節が繰り返されていることから鬼の母がもしかしたら本当に死んだと考えることができ、それを踏まえると、この曲も大部分は母の死が鬼に様々な記憶を呼び起こさせたという内容が語られていると考えられる。鬼の母に対する恨みはこれまでの曲「消化不良」などでも語られており、この曲の冒頭の、憎しみを断ち切る苦しみという内容は恐らく母の死に際して湧き上がってきたものではないだろうか。そうして悩み悶えることこそがまさに「懊悩」であり、この曲のタイトルである。
「怯えてた、投げ槍なバイオレンス」は恐らく鬼が幼少期に母親の交際相手から受けた虐待を指しており、その後の部分も彼が生まれた境遇が決して恵まれたものではなかったということが示されていると考えられる。これもまた、これまでの曲で歌われていたことであり、それも踏まえるとこの曲のそれ以降は彼の人生をなぞった歌詞(ヴァース)であると思われる。
「首筋で抜けた薬指の穴、矛盾に見えた隙を突く淫猥」は彼の母親の不倫を指しているのか、それとも歌舞伎町で起こっていたことを指しているのかは判然としないが、そうした不埒な惚れた腫れたを鬼が直接目にしていたことは間違いない。そしてその後で、彼は結局自分もまた別の「不埒な愛のベッド」に溺れていることも分かる。ちなみにこれが彼の母親の話であることを推測するのは、同じく「消化不良」と「糸 feat. BES」に根拠がある(特に「隙を突く淫猥」の意味は、「消化不良」の「中1で始めた新聞配達、冬のかじかみに厳しさ味わう 白い息吐き走る少年、ただいまの声も、唖然呆然 情事に耽るママとボーイフレンド 何人目?しかも不倫に虐待、勘弁して」、そして「糸」の「 Sunday morning 玉子焼き焼く、何を思い裸で抱き合う」や「あの日々、目にした情事の醜さ」を踏まえるとその意味をイメージしやすい)。いずれにせよ、「雌しべ揺らす百合の花」は非常に詩的な表現であると思え、百合の花の雌しべは花から大きく飛び出して先端が粘着質であることから、それを「揺らす」というのは淫乱を指す表現として秀逸である。
このヴァースを終えて残りの部分は鬼の葛藤を表していると考えられる。母の死を受けて彼の人生の区切りとしてこれまで書いたような複雑な感情があり(「私と僕が俺の中喰らい合う」、「支離滅裂泳ぐ情念の河」)、まさに「煩悶」する鬼の様子が残りで描かれている。普段通りの日常(「ブラント」はマリファナの摂取方法の一つ。つまりは煙草の巻紙にあたるもので、内側に葉っぱを詰めて吸う。厚紙を折り曲げるなどして簡易的なフィルターをつけることもある(そうすると内側に詰めた葉っぱが口に入ってこない)。ちなみに大麻製のブラントも日本でも入手可能なようである(合法かはノーコメント)。アディクションは中毒を意味するが、彼が現在も中毒者であるかどうかは分からない。彼は現在家庭を持っているはずである)を送る一方で、頭の中にはそうした感情が渦巻いている(「母の死体を眺め呷るブランデー」)が、「次の朝溺れる小便の泡」と薄汚く茶化して終わるような運び方はいかにも鬼らしい表現である。
このように、この曲は全体として(鬼の曲にありがちではあるが)背景がぼかされたような、本当のストーリーを掴みづらいような印象を受けるが、様々なことを考慮すると実は彼の思考が正確に記述されている曲でもある。
また深読みしすぎかもしれないが、「私と僕が俺の中喰らい合う」というのは自分の中に複数の自分がいるというだけではなく、「私」は大人の自分、「僕」は子供の頃の自分であり(事実、他の作品の中でも小さい頃の自分を「僕」としている)、その両方を経験しすべてを含めた現実に存在している自分が「俺」であると考えることもできる。そうして母を憎む若い自分と、自らもまた欲に溺れ母に対しても理解を示そうとする大人としての自分との葛藤が自分の中で起きていると考えることはこの曲全体の趣旨にも合致しているように思える。
僕も中毒者 / 鬼
僕も、中毒者
何かに、なれれば 自分でいられる
携帯、気になる 着信にメール
あの世界からの称賛と拍手
日ごと慣れていた幻聴と悪臭
死に方も決まらず問わず語る、
人たちを笑う、乞食がくたばる
不安ばかりの生き方でも、迷わず居れる 誰もが俯いてる
昨日今日のツケばかりの明日明後日
騙し騙され誤魔化す分かって
見失う自分、我ながらシニカル 歪んだ口睨む
乞食の骨と、蟻の群れ
信号で止まる、隣の夢
路上に雲描く水溜まり
あの子が吐く唾に溺れた蟻
見る影に振り落とした妄想 人知れず涙、零した東京
辛いのは、死ぬまでですか? あの子は頷き、慰めてくれた
見る影に振り落とした妄想 人知れず涙、零した東京
辛いのは、死ぬまでですか? あの子は頷き、慰めてくれた
一晩中、歩いてた街から街
矛盾する執着は実在が無い
確かに、何か しようとしていて
その何かに隠されていたテーゼ
妄念に見る幻想、縫い付ける影
笑いながら腐れ、狂ってくだけ
淘汰される、無駄なDNA
流行の歌ぐらいは聴いてるぜ
実感する醜さ、枯れる唇
笑うハイド、笑ってるジキル
雑踏の波間に、死者への踊り
澄まし顔した西口の物乞い
あの日を境に強くなった僕たち
元々居場所はない、彷徨う街
思想や宗教は微塵の欠片、
風の匂いも進化の過程だ
見る影に振り落とした妄想 人知れず涙、零した東京
辛いのは、死ぬまでですか? あの子は頷き、慰めてくれた
見る影に振り落とした妄想 人知れず涙、零した東京
辛いのは、死ぬまでですか? あの子は頷き、慰めてくれた
この曲では「あの子」という存在が不思議な印象を与えている。非合法な活動をする毎日の中で女性の協力者がいたのかもしれないが、これは事実に基づいた話かは分からない。
そうした不安定な生活の中で自尊心を失ったような内容が、どこから持ってきたのかというような不穏な、まさに中毒的で小気味の良いトラックの上に乗ったこの雰囲気は他のアーティストではなかなか聴くことはできない。このトラックは歌詞とあいまって本当に切なく悲痛で、しかしどこか不思議な印象を与え、懊悩と似た雰囲気ではあるがある種の恐怖のようなものさえ感じる。
1ヴァース目(歌詞の最初の塊)も最後に「あの子が吐く唾に溺れた蟻」と、薄汚く結んでいるのはやはり鬼らしい。なお、この曲全体としてではあるが、特に1ヴァース目は鬼の視線がかなり下にある、もっと言えば地面ばかり見ているというのが印象的である。蟻という生き物はまさに地を這う小さな生き物であり、「飴に群がる蟻の如く」という「精神病質」の歌詞にもあるが、この曲では「路上に雲描く水溜まり」から「あの子が吐く唾に溺れた蟻」と、彼の視線は常に下を向いている。
なお、「淘汰される無駄なDNA」と「流行の歌ぐらいは聴いてるぜ」では、「DNA」と「聴いてるぜ」で韻を踏んでいる。
ようこそ悪夢へ / 鬼
Welcome [to? 以下略] nightmare
ようこそ悪夢へ
眠り慣れた枕、浮かんでくまどろみの欠片
いつもより伽藍洞な部屋
窓辺に烏の妙な目が、
項垂れた、笑う影が
告げる悪夢幕開け、ひゅるりひゅるり隙間から歌う風
せせら笑う月の口角は避け
揺れる曼殊沙華、うだる汗
きつく閉じた瞼 気配溢れ
硬くなる身体逃げあぐねる
耳元に血生臭い息遣い
部屋は苦しいほど霧深い
本能が泡出す想像力
意識、無意識、朦朧と泳ぐ
住み慣れたワンルーム東京の夜
自分の声が、魍魎(もうりょう)を呼ぶ
Welcome nightmare, Welcome nightmare
ようこそ悪夢へ
Welcome nightmare
水の音が止む
流れ出したシナリオ
ずぶ濡れの知らない人
震える身体吐瀉物に鍵の群れ、掴まれた二の腕
ホルマリンの水槽、無数のまばたき
動く眼球のから騒ぎ
白眼を剥き指差し高笑い
何か分からないがそれは災い
いやが上にも始まる結末
夢の中これで眠れるはず
影が起き上がり俺を見下ろす
嫌味な唾吐き声押し殺す
恐れじゃなく凍えが縛る
末端は凍傷、黒く変わり出す
ほろぼろと崩れる、死の絶頂
目が覚めた病院のベッド
Welcome nightmare, Welcome nightmare
ようこそ悪夢へ
Welcome nightmare
ようこそ悪夢へ
この曲は例のタワーレコードのジャズ・ピアノのコンピレーションアルバム2にも収録されていたDuke PearsonのI'm A Fool To Want Youが大胆にサンプリングされている。I'm A Fool Want Youを演奏しているアーティストは他にもいるだろうが、ここで使われているのはDuke Pearsonで間違いないだろう。この録音の質感の暗さ、不穏さが鬼の曲に非常によく合っている。
内容としては完全に薬物中毒者のそれであり、この曲のほぼ全てが幻覚や妄想を描いている。この曲は特に、歌詞を聴き取る上でミスが多そうだ。
鬼自身が意図したのかは分からないが、曲中で物質の「硬さ」が徐々に増してきている。というのも、最初は「ひゅるりひゅるり歌う風」「血生臭い息遣い」であり、「苦しいほど霧深い」と物質が空気から水へと変わると、「水の音が止」んで「ホルマリンの水槽」と動かない液体へと変わり、「凍えが縛る」と温度が下がったと思うと「末端は凍傷」になるほどの凍った世界へと移行して終わる。(「密度が高くなる」のかと思ったが、よく考えると密度は氷よりも水の方が高かったはずであったことに気付いた。)
ここで特筆すべきことは、途中に現れる「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」である。これはより一般的な呼び名で言うところの「ヒガンバナ」のことであるらしく、それは「墓地に咲く花」であり諸説あるものの「死の象徴」であるとされることもあるらしい。そして実際にヒガンバナは有毒の植物である。なお、ヒガンバナは有毒であるものの毒を抜いて(おそらく根などを?)食用とすることもできるらしく、飢饉を救う植物ともいわれるらしい。ヒガンバナのヒガンとは「彼岸」もしくは「悲願」のことであり、彼岸とはあの世のことを指す。曼殊沙華という呼び名は仏典によるもので(鬼は不思議と仏教的な色彩を持つ用語を使うことが多々ある(「咽び泣く夜」など))、それによれば「天上に咲く花」ともされているらしい。これらのことを全て敷衍すると、ここで鬼は曼殊沙華を薬物の象徴としているとも読める。有毒な曼殊沙華は薬物と同様に「死」へと道を開くものである一方、その毒に殺されないようにその快楽を吸い出す(飢えを逃れる)。つまりこの解釈によれば、死という不吉な象徴であり一方で天上という神聖な世界の象徴でもあるというヒガンバナの二つの相反する意味合いを矛盾させない形で「薬物」に結びつけることができているのである。しかしここまでの含蓄を鬼がこの「揺れる曼殊沙華」という一言に込めたのかは怪しく、実際のところは恐らく、墓地に咲く不吉な花→死の象徴、という程度に理解しておくのが適当と思える。もしくは、ヒガンバナ→彼岸→あの世の象徴、という程度であろう。