2018年11月25日日曜日

この前気付いたんだ

自分は勉強をしてできるだけ色んなことを知ろうなんて思って、
勉強は役に立たないなんてことはないし、
むしろ「すぐに役立つものはすぐに役に立たなくなる」なんていう立派な言葉を信じて、
だから日本が大学に対して、すぐに役に立つような人間をつくるべく、
大学教育の本来的な趣旨を没却するような政策を進めることが、
おかしいと思っていた。
確かに自分の考えはきっと間違いではないんだと思う、
けれどそれはエリートの世界での話だった。


自分がエリートの星の下に生まれなかったのはずっと前から分かってたはずだ。


いつだったか政治学の講義で、
封建制度に立脚した身分制社会における古典的保守主義について、
人間はそれぞれの身分に相応しい教養を身につけるべきで、
むしろそれ以上やそれ以下の教養を持つことは不適切だという話を聞いて、
その意味が今になって分かった気がするよ。
自分が求めている教養、自分の考えていた「あるべき姿」というのは、
自分にとって不適切ということだった。


自分の身分の低さはこれでもある程度わきまえているつもりだった、
けれど学問において自分は傲慢だったのだろう、
勉強するということが意味するのは、
単に何かを学ぶということではない、
あくまでも身分に相応しい教養を身に付けるということだった。


自分の身分に、今自分がしている勉強は相応しくないし、
つまり、自分は「すぐに役に立つ勉強」をすればいい、
すぐに役に立たなくなる人間になればいいということに、
何故これまで気付けなかったんだろうか。


立派な教養を持つのは東大生や京大生、その他優秀な大学の学生に任せておけばいい。
自分はなんて分不相応なのだろう、
自分の大学の名前をもっとよく見て、
自分は精々田舎の一地方の大学生であるということをわきまえて、
つまり大して立派な教養を持つには相応しくないということを、
しっかりと心に刻んでおくべきだった。


つまり、勉強それ自体の中に役に立たないものはないと思うけれど、
「ある人にとって無駄な勉強はある」ということだと、
自分は考えを変えるに至った。


P.S.
先日音楽を投稿したので、お時間があれば聴いてね☕
低音があるのでイヤホンなど推奨です
soundcloud


2018年11月18日日曜日

知的に研ぎ澄まされていることが必要なんだけれども
反比例するように人間性が鈍くなっているように感じる