2018年1月29日月曜日

L'essence du chagrin

テスト勉強に追われる中
全く自分は今まで何をやってたんだろうと思いながら
それでもなんとかやる気を出して読み、書き、覚えた(つもりの)土日だった
商法は明日(既に今日)試験だけれど、今までの自分を頼ってあまりやっていない
どんな問題が出るんだか…普通の重い論述だけとかだったらきついな
民法は基本事項を詰め込むのに時間がかかって、結局中途半端
終いにはヤマを張る始末…情けない
本当に今まで何をやってたんだろう
火曜日の科目はやったつもりでいるけれど実際結構まずいんじゃないかって思う
単位を落として来年再履修だなんてそんな目には遭いたくない
1つでも落としたら負けだと思ってる、それに単位を落とすと全体の成績評価に大きく響く
…前期の成績を維持したいし、それに平均よりは上でありたいと思ってた
というか周りより抜きんでていないと、自分に将来はないと思って
…ストイックに聞こえるかもしれないけれどこれは事実で
何かを目指すなら他の追随を許してはいけないし、誰にも負けない知識を持たなければいけない
少なくとも堂々とそう言えるほどの努力をしなきゃいけない
誰にも真似できない哲学を持って、自分だけの道を自分の手で拓かなければいけない
周りと馴れ合ってる人間は所詮周りと同じ道しか歩けない
誰かが拓いた道を歩くとき、その道を拓いた人間は既に自分より先に行っていることを忘れてはいけない
((ちょっとここから物語風(?)の偉そうな(?)記述が続いたので今回それはカット…後日公開するかはまた後日決めます))

まあこんなことを書いている暇もないんだけれど

何だか最近、と言ってもここ何か月か
「悲しみの本質」をなんとなく掴み始めた気がしている
(今回のタイトルは「悲しみの本質」をピヨチなりにかっこつけて😎フランス語で書いてみたんだけどあってるかはわからない。)
自分の思う悲しみなのだろうか、それとも一般論なのかはまだわからない
けれどあくまで抽象的に、悲しみってこんなものだと思う、
悲しみっていうのは、「何かがあるべきところにない」ってことだと思う
「ある」っていうのはもちろん物理的な意味ではなく、でも一方物理的な意味でもこれは十分に通じて
抽象的な意味でね、色んな「悲しみ」や「切なさ」みたいなものを捉えると、
事例によってはかなり抽象化していくと、何かが「あるべきところにない」ことで一致することが多いと思うんだ
今のところ自分の見解はこれで一応固まってる
「悲しみ」って説明できないものだと思ってた
もちろん具体的には定義できない
だけど抽象的に、きっとこうなんだと思う。






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