2018年2月17日土曜日

🐤✖

自分というものがすごく小さく感じて
ダメに感じる
自分は幼くて
自分でちゃんと金を稼がないと
この家にいるのがとても、肩身が狭くて
押し潰されそうになる
今は勉強しないといけないから
バイトばかりしてる暇もないし
でもだからといって
そう言い切れるだけの努力をしているとも言えず
でも時間はなくて
実質的な勉強時間はあともう1年しかなくて
それで将来を決めないといけなくて
結果が欲しい
自分が生きることを許されているということを証明するための結果…
肩身の狭い思いをせずに生きていたい
仮に生きているなら、の話だけれど
大学なんて行かない人生でも良かったのかもしれない
俺に比べれば中卒で土方やってるような奴の方がよほど立派に見える
俺は何でも中途半端で
親の脛かじって、
もっとするべき努力も中途半端にして
本当に到達できるかすらわからない結果を追ってる、ろくでなしで
その癖世の中を知ったような顔をして、家の中で腐ってる
本当は何も知らないのは分かってる
世の中の人間の多くは自分より恵まれてない環境に居ることも分かってる
俺は得るべきものを得てきたはずで
みんなが望むような環境は俺には整えられてたはずだった
だけど俺がどこかで失敗した
もう遡ってもわからないくらい何年も何年も前に自分が曲がった
自分だって曲がりたかったわけじゃないけれど
何かが俺をこういう人間にしてから俺は腐り始めた
そうじゃなければ俺は満足してるはず
自分の何が問題だったのかを考えることなんてなかったはず
俺の周りの色んなものは間違ってなんかいなかった
俺以外のすべては常に正しかった
それはきっと今もそうで
俺だけが間違えた
何が原因なのかはわからない
けれど自分がダメなのは確か
胸を張って外を歩きたい、
それが叶うのがいつになるか先は見えない
すべてを中途半端にしてきた罰がこれだとしたら
まあこれは当たり前のこと
受けるのは当然
刑の減軽事由なし、
情状酌量の余地なし…
他のみんなが犯して来た罪は
俺より重かろうと軽かろうと
刑の減免事由あり、
それは仕方のないことだった
世の中は「仕方ない」で動いてる
どんな犯罪者もその犯罪を犯さずにはいられなかったからそれを犯しただけだ
というよりもむしろ、
犯罪が犯罪であるのは法律があるからに他ならないのであって
法律がなければ犯罪はない
犯罪を無くす最大の方法はすべての法律を無くすことだと言える
法律さえなければ犯罪者は犯罪者じゃなくなる
でもその後残るのはそうじゃない人たち
法律に定められていない罪を犯した人たち
正義やら倫理やらは犯罪を規定する
人を殺してはいけないのはなぜかということを説明するのは難しい
なぜ人を殴ってはいけないか
なぜ死体を遺棄してはいけないか?
生きた人を遺棄するのと死んだ人を遺棄するのは両方刑法上の犯罪だが
意味が違うのはなぜか?
本当に論理的に説明できる人なんていないだろう
刑法典なんて妥協の産物だろう
国民の間で「上手く説明できないけれどこれは悪い」とされていることをかき集めて
そのなかで国民の多くが「これは悪いことだ」と思っていること、
そうしたコンセンサスが形成されていることを民主主義の大義名分のもとで
最低限これらは悪いことだから処罰の対象とする、
だってみんなの多くはこれを悪いことだと思っているんだから文句ないでしょ、と
俺は刑法典などその程度のものだと思っている
民主主義とは大層ご立派なものだから
民主主義の要請なんて言われるものに歯向かうなんて
「馬鹿」のレッテルを張られて終わり
民主主義を掲げる過度なパターナリズムはいらない
大麻の栽培とそこからの収穫だけJTが管理して
大麻製品の製造業者を簡単な届出方式にして
所持・使用に年齢制限を設けて合法化すればいい
大麻を合法化して困るのは暴力団くらいじゃないのか
大麻やら覚せい剤やらを取り締まる法律で結局守られてるのは国民よりも反社会的勢力なんじゃないのか
だってやりたい人間はそれが違法でもそれがハスラーの資金になることを知ってても売人に高い金を払ってそれをやるし逆にそれがやりたくない人間は例えそれが合法だとしてもやらないんだよ
なんて偉そうなことを垂れ流しながら
自分にはこんなこと言う資格はないって思って
またベッドに沈んで、くまさん🐻抱いて
朝が過ぎて昼頃、寝過ごしたと思って起きて
なんていう馬鹿みたいな一日を過ごして
その癖将来を心配して
こうやって間抜けな醜態を晒して
自分が本当に幼くて、でもなかなか現状は変えられなくて
どう足掻いてもこのまま頑張って勉強する以外にまともな道はなくて
色々考えた結果出る言葉は
「まあやるしかないか」以外なくて
思い上がった自分の愚かさと
今もっとやらなきゃいけないはずのことに100%頑張れていない自分の愚かさで
自分を馬鹿にしながら、
自分を笑い者にしながら
とりあえずまたベッドに入る

どうせなら世界がすべて滅べばいいのに、なんてみんな考えたことがあると思う
すべて平等に無くなるなら、
今こうしてみんな不平等に生き永らえてるよりもはるかに平等だから
すべての人間が1人残らず滅んだ後に流れている音楽は
やはり好きだからだろうか、サティだと思う
ジムノペディでもグノシエンヌでもいい
明るい曲もそれはそれでシニカルに響くだろう
なんてね
そんな世界で音楽なんて、流れてるわけ無いけれど
ミちゃんがくれたあのロジェのアルバムを、好きな曲を流したほかに、
最初から最後まで何周かした
やっぱり素敵だった

サティについてさえ俺は全く批評など畏れ多くてできないけれど
例えばグノシエンヌの5番みたいに、陰鬱とした中に突然明るい曲が入ると
なんだか病的なものを感じる
ジムノペディの後に聴くJe te veuxも同じような感じと言えるだろうか
躁鬱病患者の胸中って似たようなものがあるんじゃないだろうか
今でいう双極性障害か
完全な躁状態ではないが、どこか躁が入ってるような感じ
なんとなくだけれど、
とても分かる気がするんだ
グノシエンヌ第5番は単体で聴いても素敵だけれど
1番から通して聴いて6番まで聴くと
そういう世界観を味わえる
これは冬がいい
晴れた冬に、暖房を焚いた部屋で…

なんて

長々とブログを書いちゃったりする自分が居る





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