2017年12月11日月曜日

pillow & bear

午後の太陽に照らされる雲の浮かぶ晴れた冬の空を、1人窓から眺める日曜の午後
風邪なのか何なのか分からないが、しかしきっと風邪気味なのだろう、
ペンを握ったまま少しぼうっとして、5番目のグノシエンヌのメロディが耳に流れてくる
この部屋は冬の寒気を防いで、エアコンの暖気で満ちている
動く物は自分だけ
部屋の中を認識しているのも自分だけ、シュレディンガーの猫のように
体調が傾ぐと思考が歪む
それを正す作業、自分は鉛筆や緑のマーカーで線を引きながら本を読み進める
『国家はなぜ衰退するのか』、『ヨーロッパの政治』
どちらにも互いに似たようなことが書いてある部分がある
特にイギリスの名誉革命に関する記述がそうだったと思う
フランス革命についてもだ―
かのナポレオン・ボナパルトについても
自分は高尚な学問の道に立っているように感じる
しかし同時に焦りも感じる、
自分はもっとやるべきことがあるように感じる
そういう自分をなだめる
忘れる
本当に正しいこと、本当に重要な原理というのは世の中に数少ない
それを探求するという熱意に、自分はいささか欠けるところはあるものの、
そうした真理の存在というものの存在に半ば気付きながら
しかしそれに達することができないということには確信を得る
人間というのは皆、0でなければ最大でない
サティの音楽は―
自分にとって実証主義的に響く
意味が分からないと思う、きっと世界の誰に言っても分からないと思う
ジムノペディ然りグノシエンヌ然りJe te veux然り…
それらは、それが鳴る景色で既に起こったあらゆることを半ば認める
追認する;後から、それが既に起こったことであると、そして効力をもつことであると認める
それらは、NO、敬意を表してフランス語で言えばNON、を突き付けない
それらは、この痛ましい世界を、諦めながらも受け入れるかのように聴こえる
これが、サティが好きな理由だ
あくまで、極めて個人的な感想
1人きりの思考がいっぱいに積もると、こういう、客観性にかなり欠けた「訳の分からない」ことを考え始める
だからだめなんだ
刑法総論の本を開いても、そこに書いてあるのはまだ「訳の分かること」
思考を研ぎ澄ますことは逆にそれを鈍らすことに近い
まるでひとつの円のように
ある地点から右に進めば、同じ地点へ左から帰って来る
ぼうっとした頭で考えたことは正しくないこと
そうに違いないと思いながら、居間からかすかに流れてくるワイドショーの音声を嫌う
コーヒーだけは休日中いつでも美味しい
今は傷んだ喉を、焼酎が焼くように撫でる
そろそろ薬を飲んで寝よう
家にある風邪薬のパブロンは他の横文字の感冒薬と同じく西欧の薬だから、身体に入ってきては横暴に鼻水を止め、代償として鼻と喉の間が乾燥して痛むような感覚をもたらす
ヨーロッパというのは罪深い
少なくともアフリカが貧しいのはヨーロッパのせいだ、
世界の諸悪の根源はヨーロッパにある
漢方薬たる葛根湯を飲んで寝ることにする
アジアは愚かで薄汚いが美しい
日本はその点、アジアのそういう面と西欧の合理的な思考を兼ね備えた素晴らしい国だ
日本人であることは誇りに思った方が良い
ナショナリスト、右翼と言われようが日本は美しい
この国は悪党ヨーロッパよりも、鬼畜米英よりも優れた国
日本の領土に枕を置き、そしてしかし日本なんかよりも愛しいミミちゃんを想いながら
眠りにつける夜はなんと幸せなことか。



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