2016年12月31日土曜日

2016年12月20日火曜日

pond

俺のことは、大丈夫だからね

俺は、目の前にあるのがただの水溜まりだと信じてる

俺が、どれだけの想いを込めて
どんな、思いをもって
みさきを抱きしめていたか、分かるかい

きっと分かってくれていると思う




俺は自分勝手かもしれないけれど、
実際、みさきを抱きしめることで
特別の安心感を得られたし
みさきの名前を何度も呼ぶことで、
目の前のみさきを、
俺の中のみさきと一致させていたんだ
みさきが、
本当にみさきであることを
俺はただただ、確かめていたかった

みさき

みさき

みさき…

2016年12月14日水曜日

cheese curry

俺はいつも大学で一人だ
講義で彼(ウォーリー)が一緒の時は彼と一緒だけれど
それ以外は、一人だし、話すような人はいない
今日もそうだった、俺は一人で生協食堂で昼飯を食べた
本来頼もうと思っていたものがなかったので、迷った挙句チーズカレーを頼んだ
注文すると、パートのおばさんが手際よくカレーを盛り、その上に細く細かいチーズを、トングでふわっと乗せる
会計に持っていき、席を探して着席するまでにチーズは溶けていっていて
おいしそうな香りを放っていた
俺は今日も、壁に向かう席に着いた
後ろでは、色んな人が友達や知り合いと座って
きっと、いろんな話をしていた
俺は自分のチーズカレーを見つめた
このチーズカレーは、俺のためだけに温かいんだ
チーズや、ルー、ライスはそれぞれみんなのために作られたものだけど
今、この皿に盛られているのは俺のためだけのものなんだ
ライスは俺のために、上にルーを乗せてくれているし
チーズは俺のために、ルーの中に溶けていってるんだ
勿論わかってる、別に誰のチーズカレーでも同じことが起こってて、そもそもチーズが温かいルーに溶けていくのは誰のためでもないってこと
それでも、俺にはどうも、そう思えて仕方なかった
俺の皿に乗った細かいチーズの一つ一つが溶けていっているのを眺めているのは、俺だけなんだ
周りにいる大勢の人は、友達や話し相手が居ても、彼らのチーズが溶けていく様子をきっと、彼らは見逃したはずなんだ
そういう意味で、彼ら自体は孤独じゃなくても、溶けていく様子を一度も目撃されないチーズたちは孤独なんだ
だから俺は俺の皿のたくさんのチーズたちにこう、心の中で話しかけた
俺は君たちの味方だよって
君たちはいつも彼らに見逃されてきたかもしれないけれど、少なくとも俺は今、君たちを見ているよ、君たちの存在と、君たちの働きを俺はしっかり見ているよって
俺はそう思って、チーズの溶けたカレーライスを食べた
米粒も、多くの場合見落とされてきたかもしれない一粒すら残さず、全部食べた
おいしかった

美咲は俺のためだけに温かいチーズカレーでいてくれると思う
(でも実は、この例えが本当に適切なのかどうか、今の俺が精確に判断しているかあまり自信がないけど)
美咲が俺の皿のチーズカレーなら
俺はちゃんと、一粒残らず食べてあげるからね
心配しなくて大丈夫だよ
俺は自分の皿のチーズカレーだけで充分、幸せだから
みんなが見落とそうとも、俺だけがちゃんと見ているから
ちゃんと、味わってあげるから…


俺は自分が弱っていることを感じた
日常の動作の中で、なぜか手からものを落としてしまう
何故だかわからないけれど、時々手が、しっかり物を掴んでくれない
肉体的に弱ったということは、恐らくないのに
そして、幻覚というには大袈裟だが、なんだか気のせいが増えた
俺のセブンスターに、誰かが違うハッパを混ぜていなければいなければ、の話だけど
この間の黒い太陽のイメージは今でも強烈に、容易に思い出せる
俺を殺そうとしていると思った
今日も、まずバイトに行くとき
2本目の煙草に火を点け、ぷかぷかしているときだった
突如、白い雪の上に茶色い点が2つ、焦点の外に現れた
なんだろう、と思って目を向けると、それはふっと消えた
それだけだったから、気のせいだろうと思って、気にも留めなかった
帰り、またセブンスターを吸いながら歩いていたら、30mくらい先に猫が飛び出してきた
すると止まって、俺の方を、遠くからじっと見てるんだ
そして猫は少しずつ移動して、雪山の角に止まった
毛繕いをするように、猫は動いていた
そしてちょうど俺は、その猫がいるあたりまで来た
その時ようやく気付いた、
猫なんていなかったんだ
全て気のせいだった
猫が飛び出してきたところ、少しずつ移動していたところ、毛繕いをしていたところ
いなくなったわけでは確実にない、なぜなら俺はその猫をじっと見て、一度も目を離さなかったから
猫が止まったと思ったあたりには、ただ雪が盛り上がっていただけだった
でも俺は確実に見たんだ、何かが動いていた様子を
それから家に着くまでは、なんだかまだ自分が見られているという感覚だけが残っていて
通りすがる家の屋根から雪が落ちる音、風で木が揺れる音
すべてに神経が集中していた
きっと何も、何一つ、俺のことを見ているものはなかった
俺の気のせいだった
気のせいだったんだ

2016年12月13日火曜日

mistake

最近俺は、まあ何回かは言っていたけど
どうも、色んな事をうまく運べなくて
それが自分の中でストレスになってる

不運もあれば、単純に自分のミスもある

本当に嫌になる、俺は簡単に諦めたりはしないけれど
だからといって、楽ではない

なんだか色んなことが上手くいかないときというのが人生の中にはどうやらあって
みんなそれを克服して、大人になっていっているのか?
そう思いつつも、俺はそういう意味ではやっぱり大人にはなれないというか
俺はどうしてもその瞬間を頭の中で何度も反芻してしまう、
その度に嫌になるし
やっぱり自分を責める、頭の中で言い訳をしてるときもあるし、
実際何かミスを犯したときに、それには訳があるんだって思っても
所詮言い訳に過ぎない、と思って言わなかったことが頭の中に溜まって
だからといって、その時言わなかった自分を責めるかと言えば、それはそうでもなくて
恐らく、今の自分がその場に居ても言わなかっただろうから
過去の自分を恥ずかしく思って、そのまま弁護しない一方で傷跡を舐めるような
生温い感覚がどうも、居心地が悪くて

俺は失敗をする自分が嫌いだ
中途半端な真面目を捨てきれない
俺は他人に評価されたいのなら、もっとまじめにしていただろうけど
俺は他人に評価されることよりは、自分を護ることを選ぶようで
でもその癖、それも不十分なようで
俺は失敗をしたくない
俺は、完璧と行かないまでも、少なくとも人並みでいたい
俺は人よりも多く失敗をする
全く恥ずかしい、
もちろんそれにはれっきとした訳があって、俺のせいじゃないってときもある
でも、それも含めて、俺の身に起こる失敗は俺の失敗だと思う

俺は人よりも多く失敗するし
人よりも、どこか変だと思う
俺は自分がおかしく感じる
他人雑談をするのが苦痛
俺は人よりも、うまくしゃべることができない
コミュニケーション能力に問題があるみたいに、何を話したらいいかとかも
自分の向かう方向がわからなくなるし

とにかく…うまくいかない

こんな男じゃだめだ
男はもっと強く堂々としてなければならないはず

強く生きる方法を、知りたい

2016年12月11日日曜日

sharpness

I pretend not to know...just let it go

一日ってこんなにも呆気なく終わるものだっけ
そう思いながらも時間をどこかで浪費して
俺は何かに齧りついてるふりをして
自分を騙してる

What' going on in the world today?
People fighting, feuding, looting it's okay
Let it go, let it blow, let the good times roll...

俺の知らないところでも、ね

むむむ


最近改めて、こう思う
やっぱり人生なんかやめたい、とね
あらゆる問題の根幹を辿れば、それは当たり前だけど"生きている"というところに行き着くんだよ
それでもこれを引きずるから辻褄が合わなくなる、
生きていこうとするあらゆる人間の、あらゆる営みは人間の本質と矛盾している気がするんだよ
俺は最近やっぱり、この世界は、プレイステーションのVRみたいなもので罰ゲームの世界に落とされているんじゃないかと思ってね
人間は本当は、もっと楽しい世界に生きてるはずだ
そもそも肉体など持たず、あくまで概念的な世界に
ここは牢獄なんだよ、ここから出る方法はいわゆる「死ぬこと」、それがゲームオーバーなんじゃないかと思ってね
まあ実は、もうちょっと違う考え方を俺はもってるけど
にしても、この世界はとても馬鹿げているとしか思えない
ここから早く抜け出した方が勝ちなんじゃないか?
いろんなしがらみに囚われて生きてる、これはみんな間違いないはずだ
人間の理性とはまず、神に逆らうところから発展していった、
まずこの世界に生きていこうとするために理性、これは俺の考えでは神に逆らっているし
一方そういう既成概念の世界では、逆に死のうとすることが神に逆らっているとみなされている
俺はこれを考える時、いつも混乱するけどね
人間の本質とは、生きる上でも死ぬ上でも、神に逆らっているんだよ、きっと

この世界に生かされている泥人形はみな、本当は生まれてきたくなかったんだよ
神は、ここに人々の魂を閉じ込めた、なかなか抜け出せないだろうということを見越して、敢えてそうした
すると「死ぬこと」は、なるべくここに人間の魂を閉じ込めておきたいという神の意に反する
一方、「強く生き、人間の発展させること」は神に対して反抗的な態度になる
つまり人間は何を期待されているか?
それは残念ながら、天寿を全うすることだ
長生きせず、しかし早くして自殺もせず
つまり自然状態こそ、神が望んだすべてなのだろう
なるべく健康的な生き方をして、神が待つよりも長く生きることは自殺することと同じくらい、罪が重いはずだ
しかし医療も受けず健康的な生き方もせず、運命に従うままに生涯を終える人はどれほどいるだろうか?
そんな人は殆どいない、
殆どは神に望まれた生き方をしていない
その癖、人は神を崇拝する
みんな反逆者であることを隠したいかのように
全く笑える話だよ、みんな犯罪者であるのに、
あたかもそうでないかのように暮らしてる

つまり、神に敢えて背こうとする人はその時点で、前提として神の存在を認めてしまっている
それもまた愚かな人間だ
神など信じなければいい、そんなものはいないと切り捨て、好きなように生きればいい
逆に言えば、好きなように死ねばいい
そういう自由が、人間には生まれながらに付与されていなかったのだろう
つまりみんなが憧れる境地は常に、その呪縛からの解放にある
生きること、死ぬことの両方を恐れない生き方
そんな、すべてを超越した超自然的な生き方にね

しかしそんなことができないのは当然である、
あらゆる人の人生は「生まれてから死ぬまで」と規定されてる以上、
人生は生きることという観点に依存せざるを得ない
つまり人はどんな人生を歩もうとも、結局望むような平穏にありつくことはできない
すべての尺度から解放されることは、そもそも肉体に束縛されている以上、不可能なんじゃないか

人間は生まれる時、声をあげて泣く
それはここに生まれてしまった後悔なんだよ
この世界に、父や母という別の個体によって、勝手に引きずり込まれたという恨み、悲しみ


なんて考えてる間はまだ、きっと余裕があるんだ
どん底に居る時なんか、こんなことはどうでもいい
経験上、そうだった

俺は客観的に見ても、主観的に見ても
言うほどの苦労をして生きていない
そう思った、
俺は前の、すくなくとも自分の人生の中では最低の時代の記憶が
どんどん薄れていってる
なぜ自分があんなにも追い詰められていたのか
思い出せない
でも俺はこれだけは確かだと言えるのは、
本気で、前にも死にたいと思ったことが前にもあるっていうことで
そして、それが俺の心に精神に、消えない傷を残しているということで

あの頃はいつ思い出しても最低だった
平日はみんなに見上げられる存在だった
どんな奴も、例えば知る限りどんな所謂「不良」もDQNも
誰も馬鹿にした態度をとる奴や、そういう雰囲気を出すやつはいなかった
教師もそうだった
ほとんどみんな、俺を真面目で良いやつだと思ってたし、俺は他の連中より卓越した、傑出した生徒だと思ってた
色んな教師からの評判を耳に挟んだうえではそうだった
俺は他の連中が全員、本当に文字通り全員、マイナスの評価を受けているときでさえ俺だけはプラスの意味で、評価された
俺はそういう意味で、あらゆる人からそもそも、同じ尺度での評価は意味を持たなかった
なぜなら俺は突出していることが当たり前だったから
俺がそれを、殆ど意識的に、装っているとも知らずに
みんな、騙されてた
大人も子供も、みんな
俺は人を騙すことが簡単だと知った
逆にそのころからなのだろうか、一方で人付き合いに慎重になり、疑うことをやめなくなったのは
そして休日は
パジャマのまま、ぐちゃぐちゃに散らかした部屋で何時間も、うつろな目でギターを弾いていた
夜になれば、たくさん鋭利なもので自分に線を引いた
あるとき好きだったのは、ナイフ回しなんだ
ナイフを、ペン回しよりも華麗に、手の上で回す
うまくいけば、しっかり綺麗に回る
手の上で放ればそれは空中でくるくると何回転もし、手に戻ってくる
失敗すれば、刃の方を手で掴み、血が出る
それはとても快感だった、今思い出しただけでぞくぞくする
特に、失敗して、それを指と指の間で受け止めた時に、刃が指に食い込む感覚
忘れられないほどヤバい、
本当にぞくぞくする
想像するよりも、血が出る
手が傷だらけになる
そして、これを読んで想像するよりも、血だらけになる
ナイフにも、血が付く
それを無表情で続けてた
手のひらや指を、血だらけにして遊んでた

なんでこんな話をしているんだろう、
ちょっと熱が入ってしまった

疲れたし、何より頭が拒否反応を起こすので
この辺にしておこうかな



俺は知っている
ただ知らないふりをしているだけなんだ

2016年12月7日水曜日

quantum

続けることは大切なこと
俺も何かを成し遂げようと思って
それでも将来の仕事とかは具体的にはまだ決まらないし
とりあえず勉強をしてみている
もちろんできない日もある
それでも、日があいても取り敢えずもう一度、やってみる
ゆっくりでも、進まないよりはマシかと思った
俺はそんなこんなで、とりあえず、色んな事を棚に上げてはいるけれど、
自分の人生の駒を進めないことには話にならないから
というか、生活するには進めざるを得ないから
まあなんとか、がんばっているよ

考えることも山ほどあるけれど


ふと、図書館を歩いているときに
数学の書架の間を通って
俺は量子力学の本を手に取った、何も知らない文系の癖に
最近のテクノロジーでは量子、というものをよく耳にする
それに人間の脳と量子というのは関係がある、という話もどこかで聞いて
俺はその入門みたいな本を開いてみたわけだけれど
高校数学と大学基礎レベルの間、くらいのところから始まっているらしかったけれど、
内容が全く分からなかった
それも一番初めのページの、一番最初の例から
俺はそのとき、ふと思った
俺は数学のことを、かなり知らないということに、改めて気付いた
数学が全く分からない
数学のことをもっと知れば、もしかしたらこの世界の見え方も変わってくるのかもしれない、
別に変えたいわけではないけれど、
違う見方を身に着ければ、もっとこの世界にいろいろな方法でアプローチできるかもしれないと思った
まあ、これも完全に、言うは易し、だけれども


全く関係ない豆知識
hard knocks"という英語の言い回し
教育機関以外で学ぶこと、というか、なんというか、実務経験とか、社会経験とか、そんな感じの意味らしい
hard knocksというのは苦境とか、そういう意味らしい
例えば We should learn from the school of hard knocks. みたいに使うらしい