2018年6月27日水曜日

beautiful

午前1時半
家に帰ってからはご…を食べて、
それから買ったスカイウォッカをさっそく開けて飲みながら
なんとか夜もちゃんと頑張れた
ヴェポライザーで、おうちでもぷかぷか休憩を挟めるのはありがたい
いつの間にか雨が降ってる
明日になって荒れてなければいいけれど
するべき選択から逃げてきたツケが回ってきた、なんて
やっぱり考えてしまうし
将来というものが近づいてくるのがずっと怖かったのかもしれない
失敗しないことに腐心してきた人生が馬鹿みたいだ
自分がつまずけば誰かが笑う気がしてた
というか今もそうだよ
失敗しないことに今もずっと囚われてる
その「誰か」の目線や顔色なんて自分に関係ないことは分かってるのに
これが最低限の、それでも人よりは幾分高いかもしれない自尊心だとすると
自尊心という言葉が意味するものの中で、これは最も矛盾をはらみ得るタイプのものかもしれない
自分が笑われないようにするため、外面を保つために本当の自分を殺すことは本当に自尊心といえますか
なんて言ったところで、今じゃただの腰抜けで
そんなこと考えてもいなかった
酒は飲んでるのに不思議と酔わないし、目は乾いてまぶたも重いのに頭だけは妙に冴えてる
本当の自分なんて若者らしい言葉に聞こえるね
けれどそんなものはいつの頃からか、見えなくなった
まあ悲しいとも思わない
再発見するつもりも毛頭ない
元から存在しなかったように思えてくる
非常に空虚に響く
すべてはなるようになるのだから
人間はその結果を見て満足かどうかを感じることができるに過ぎないし
これを厳格に考えるなら「満足できる仕事に就く」なんてことはある意味、順序に逆らうことなのかもしれない
そう考えると自分は正しい
でもこの正解が本当に望ましい人生観なのかは分からない
それでも、そういう人生観でもせめて大切なひとを幸せにできるのならば
あながち悪いことでもない、むしろ十分美しい人生なんだと思う

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