2019年2月20日水曜日

la mort

言うには奇妙だが人生は飛び降り自殺と似ている。
呪術の観点から見れば、人生を終わらせるには飛び降るのが良いだろう
もしくは他殺に関しても、高いところから突き落とせばいい

J.G.フレイザーによる呪術の類型に、模倣呪術というものがある
それは類似の法則と関連する
類似の法則とは、ある事象に似た現象を起こすことでその事象を起こすことができるという考え方であり、具体的には、家畜の繁殖を願って粘土などで大量の家畜の人形を作って洞窟に祀るなどといったことが行われていた
フレイザーは世界の古い民俗や民間信仰を研究して、かつてはそうしたある種の法則が信じられていたことを発見し、その法則を前提としてある事象の発生を願う呪術を模倣呪術として類型化した
もちろんこれはあくまで呪術の話であり、科学的な意味での「法則」と異なることは注意する必要がある。ここで議論されている法則は、科学的な因果関係に基づくものではないし、むしろ科学の発展によって糾弾された古来の考え方である。

しかし個人の単位で見れば人生は他殺かもしれない、自分の意思で生まれてくるわけではないから
人は生まれた以上死を避けることはできないのだから、
人が生まれるということは、その人がその親に高いところから突き落とされるのと同じことだ

飛び降りる行為は生まれることを意味する
飛び降りてから地面に落ちる瞬間までを人生と呼び
地面に落ちた瞬間を死という。
地面に落ちた瞬間人は二つの意味で死ぬ
飛び降り自殺の物語の上での死、そして自分自身の死
また実際に死んだかどうかは別として、地面に落ちた瞬間、物語の上での死は常に成就する

そこに人生のアナロジー(類比)がある。
細かいことを言えば、人生が自殺なのか他殺なのかは分からない。
人類が必ず滅ぶことを考えれば、人類の歴史は幾多もの絶え間ない自殺の連続と言えるし、個人レベルで人々が親から生まれることを考えれば人生は他殺なのかもしれない。
しかし、では人類を創造したのは誰なのかということを考えると、もはや分からない。様々な考え方によって場合分けして考える必要がありそうだ。
いずれにせよ「産み落とされる」という言葉は興味深い。「産み"落とされる"」ということの意味は、ここに書いたことのように深読みする余地があるかもしれない(多くの人は首肯しないと思うが)。



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