9月26日のブログ
秋の星座は素敵なものが多い
バイトが終わった後、空を見上げれば
ぎょしゃ座にアンドロメダ座、カシオペヤ座、ペルセウス座
アンドロメダ座は大きくてなかなか全体像がつかめない
ぎょしゃ座のカペラは一際明るい
カシオペヤはWの形で、晴れていれば比較的見つけやすいかもしれない
昨日、iPhoneのアプリの星座表を片手に、天頂近くに広がるアンドロメダ座を見上げていたら
女王アンドロメダの腹のあたりに、流れ星が見えた
思わず息を呑んだ
人間の暮らすこの地球も、その上で営まれる社会生活も
全ては広い宇宙の秩序の中にある
けれど宇宙の塵のような人間にはその秩序、「ロゴス」を知ることができない
人間は遥かな想像力を与えられながら、全てを知り解き明かすだけの力を与えられていないらしい
だけど人間の営みも、この宇宙の秩序に従っている
せいぜいそのことを認識できるというのが、人間の知恵の最たるものなのかもしれない、
だけどそれが一体本当は何を意味しているのかというのは、
自分にもまだよく分からない
人生とはそれを知るための旅である、と言えば多くの哲学者たちの同意を得られるかもしれないけれど
人間は全知と無知の狭間で頭を悩ますのはそう楽な事でもないね
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10月1日のブログ
一泊で帰ってくるけれど、ついに東京へ初めて独りで行く日が来た
自分で動いているという感覚というよりは、自分を自分で突き動かしているという感じがするというのが内実だ
人生のドアは叩かなければ開かない、
それを金言に自分を動かす
「動かなきゃ何も変わらないから、そう言って飛び出したあの部屋」
いつかも聴いていたD.Oのリリックが脳裡を過ぎる
今思い返せば、第一志望一つだけでろくに併願しなかった公務員試験という「危ない橋を渡ったわけは、ただ逃げ出したくなかったから」なのかもしれない
そして落ちた時は、
「自業自得なのは分かってる、この道を選んだのは自分」。
落ちてからの求人票をめくる日々、そして首吊り体験についても、
「悪夢のような毎日は、いつからか俺を強く鍛えた」のかもしれない
今の自分は冷静なのか闇雲なのか、それさえもはっきりとは分からないから
今の自分はまだ強く鍛えられてもいないけれど、
負のループから脱却するために動けているだけ自分はあの頃よりましになったのかもしれないとは思う
D.Oは自分と全く違うシチュエーションのことをラップしているけれど、どこか自分と重ねてしまう部分があるから不思議だ
あんな見た目、あんな声だけど、正直D.Oは結構的を射ているというか、リスペクトできるラッパーだ
あれ、今は確か捕まってるんだっけな
D.Oは本当に危ない橋を渡り続けている
話は変わるけど、星の話
最近はペルセウス座やカシオペヤ座、ぎょしゃ座をなんとなく見て分かるようになってきた
カシオペヤ座はとても分かりやすいんだけどね
最近はおひつじ座が、バイトの帰りに歩いているときほぼ正面にあることが分かった
自分は見ている時間が深夜だから、一般的には言えないけれども
ぎょしゃ座のカペラはこの時期見つけやすいから
もしミちゃんがカペラを見つけたら、それはチも毎晩見ていたカペラだよ
東京、しかも新橋なんかじゃ明るすぎて星は見えないだろうなあ
それが残念だな、星は見えなくても頭上で確実に輝いてるはずなのに
離れていても同じ星を見られるとすれば、なんてベタでクサいけれど、
実際素敵だと思うな
自分は何かを成し遂げるために、橋を渡る
それが危ない橋かどうか、自分にも分からない
仮にこれが石橋だとしても、これを叩いてから渡る余裕なんてなかったな
これまで積み上げた「ツケ」はもう自分に回ってきたのか、
それともまだツケを払ってる最中なのかも分からない
橋を渡りながら、向こうは霧が深くて見えない
足下が突然崩れるかもしれない
だけど立ち止まってる暇もない、
どこまで続いてるか分からない強度不明の橋だとしても、
一歩でも進めなければ渡りきることは決してできないのだから、
歩き続けなければいけない
いや、歩き続けることが最善の選択に違いないと、
自分に言い聞かせるのがせめてもの自分の成長なのかもしれない
「新橋」という地名はある意味で縁起が良いかもしれないね、
自分にとってこの橋は、脆い橋か頑丈な橋か分からないけれど、
公務員試験という危ない橋から落ちて行き着いた、
「新しい橋」であることに変わりはないからね…
地名の本当の由来なんて全く知らないけどね。。
行ってきます、
きっとなんとか上手くやってくるから、
ラブミちゃんはほおっとまっててね。
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