2018年2月25日日曜日

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書くことはたくさんあるような気がしているのですが、
何も書けないのです。

ぐちゃぐちゃのベッドに横たわって、
閉め切ったカーテンの隙間から暖かい日差しが入ってきて、
グノシエンヌ第5番が流れている。

チの日常というのは、
大体そういうものなのです。

2018年2月17日土曜日

🐤✖

自分というものがすごく小さく感じて
ダメに感じる
自分は幼くて
自分でちゃんと金を稼がないと
この家にいるのがとても、肩身が狭くて
押し潰されそうになる
今は勉強しないといけないから
バイトばかりしてる暇もないし
でもだからといって
そう言い切れるだけの努力をしているとも言えず
でも時間はなくて
実質的な勉強時間はあともう1年しかなくて
それで将来を決めないといけなくて
結果が欲しい
自分が生きることを許されているということを証明するための結果…
肩身の狭い思いをせずに生きていたい
仮に生きているなら、の話だけれど
大学なんて行かない人生でも良かったのかもしれない
俺に比べれば中卒で土方やってるような奴の方がよほど立派に見える
俺は何でも中途半端で
親の脛かじって、
もっとするべき努力も中途半端にして
本当に到達できるかすらわからない結果を追ってる、ろくでなしで
その癖世の中を知ったような顔をして、家の中で腐ってる
本当は何も知らないのは分かってる
世の中の人間の多くは自分より恵まれてない環境に居ることも分かってる
俺は得るべきものを得てきたはずで
みんなが望むような環境は俺には整えられてたはずだった
だけど俺がどこかで失敗した
もう遡ってもわからないくらい何年も何年も前に自分が曲がった
自分だって曲がりたかったわけじゃないけれど
何かが俺をこういう人間にしてから俺は腐り始めた
そうじゃなければ俺は満足してるはず
自分の何が問題だったのかを考えることなんてなかったはず
俺の周りの色んなものは間違ってなんかいなかった
俺以外のすべては常に正しかった
それはきっと今もそうで
俺だけが間違えた
何が原因なのかはわからない
けれど自分がダメなのは確か
胸を張って外を歩きたい、
それが叶うのがいつになるか先は見えない
すべてを中途半端にしてきた罰がこれだとしたら
まあこれは当たり前のこと
受けるのは当然
刑の減軽事由なし、
情状酌量の余地なし…
他のみんなが犯して来た罪は
俺より重かろうと軽かろうと
刑の減免事由あり、
それは仕方のないことだった
世の中は「仕方ない」で動いてる
どんな犯罪者もその犯罪を犯さずにはいられなかったからそれを犯しただけだ
というよりもむしろ、
犯罪が犯罪であるのは法律があるからに他ならないのであって
法律がなければ犯罪はない
犯罪を無くす最大の方法はすべての法律を無くすことだと言える
法律さえなければ犯罪者は犯罪者じゃなくなる
でもその後残るのはそうじゃない人たち
法律に定められていない罪を犯した人たち
正義やら倫理やらは犯罪を規定する
人を殺してはいけないのはなぜかということを説明するのは難しい
なぜ人を殴ってはいけないか
なぜ死体を遺棄してはいけないか?
生きた人を遺棄するのと死んだ人を遺棄するのは両方刑法上の犯罪だが
意味が違うのはなぜか?
本当に論理的に説明できる人なんていないだろう
刑法典なんて妥協の産物だろう
国民の間で「上手く説明できないけれどこれは悪い」とされていることをかき集めて
そのなかで国民の多くが「これは悪いことだ」と思っていること、
そうしたコンセンサスが形成されていることを民主主義の大義名分のもとで
最低限これらは悪いことだから処罰の対象とする、
だってみんなの多くはこれを悪いことだと思っているんだから文句ないでしょ、と
俺は刑法典などその程度のものだと思っている
民主主義とは大層ご立派なものだから
民主主義の要請なんて言われるものに歯向かうなんて
「馬鹿」のレッテルを張られて終わり
民主主義を掲げる過度なパターナリズムはいらない
大麻の栽培とそこからの収穫だけJTが管理して
大麻製品の製造業者を簡単な届出方式にして
所持・使用に年齢制限を設けて合法化すればいい
大麻を合法化して困るのは暴力団くらいじゃないのか
大麻やら覚せい剤やらを取り締まる法律で結局守られてるのは国民よりも反社会的勢力なんじゃないのか
だってやりたい人間はそれが違法でもそれがハスラーの資金になることを知ってても売人に高い金を払ってそれをやるし逆にそれがやりたくない人間は例えそれが合法だとしてもやらないんだよ
なんて偉そうなことを垂れ流しながら
自分にはこんなこと言う資格はないって思って
またベッドに沈んで、くまさん🐻抱いて
朝が過ぎて昼頃、寝過ごしたと思って起きて
なんていう馬鹿みたいな一日を過ごして
その癖将来を心配して
こうやって間抜けな醜態を晒して
自分が本当に幼くて、でもなかなか現状は変えられなくて
どう足掻いてもこのまま頑張って勉強する以外にまともな道はなくて
色々考えた結果出る言葉は
「まあやるしかないか」以外なくて
思い上がった自分の愚かさと
今もっとやらなきゃいけないはずのことに100%頑張れていない自分の愚かさで
自分を馬鹿にしながら、
自分を笑い者にしながら
とりあえずまたベッドに入る

どうせなら世界がすべて滅べばいいのに、なんてみんな考えたことがあると思う
すべて平等に無くなるなら、
今こうしてみんな不平等に生き永らえてるよりもはるかに平等だから
すべての人間が1人残らず滅んだ後に流れている音楽は
やはり好きだからだろうか、サティだと思う
ジムノペディでもグノシエンヌでもいい
明るい曲もそれはそれでシニカルに響くだろう
なんてね
そんな世界で音楽なんて、流れてるわけ無いけれど
ミちゃんがくれたあのロジェのアルバムを、好きな曲を流したほかに、
最初から最後まで何周かした
やっぱり素敵だった

サティについてさえ俺は全く批評など畏れ多くてできないけれど
例えばグノシエンヌの5番みたいに、陰鬱とした中に突然明るい曲が入ると
なんだか病的なものを感じる
ジムノペディの後に聴くJe te veuxも同じような感じと言えるだろうか
躁鬱病患者の胸中って似たようなものがあるんじゃないだろうか
今でいう双極性障害か
完全な躁状態ではないが、どこか躁が入ってるような感じ
なんとなくだけれど、
とても分かる気がするんだ
グノシエンヌ第5番は単体で聴いても素敵だけれど
1番から通して聴いて6番まで聴くと
そういう世界観を味わえる
これは冬がいい
晴れた冬に、暖房を焚いた部屋で…

なんて

長々とブログを書いちゃったりする自分が居る





2018年1月29日月曜日

L'essence du chagrin

テスト勉強に追われる中
全く自分は今まで何をやってたんだろうと思いながら
それでもなんとかやる気を出して読み、書き、覚えた(つもりの)土日だった
商法は明日(既に今日)試験だけれど、今までの自分を頼ってあまりやっていない
どんな問題が出るんだか…普通の重い論述だけとかだったらきついな
民法は基本事項を詰め込むのに時間がかかって、結局中途半端
終いにはヤマを張る始末…情けない
本当に今まで何をやってたんだろう
火曜日の科目はやったつもりでいるけれど実際結構まずいんじゃないかって思う
単位を落として来年再履修だなんてそんな目には遭いたくない
1つでも落としたら負けだと思ってる、それに単位を落とすと全体の成績評価に大きく響く
…前期の成績を維持したいし、それに平均よりは上でありたいと思ってた
というか周りより抜きんでていないと、自分に将来はないと思って
…ストイックに聞こえるかもしれないけれどこれは事実で
何かを目指すなら他の追随を許してはいけないし、誰にも負けない知識を持たなければいけない
少なくとも堂々とそう言えるほどの努力をしなきゃいけない
誰にも真似できない哲学を持って、自分だけの道を自分の手で拓かなければいけない
周りと馴れ合ってる人間は所詮周りと同じ道しか歩けない
誰かが拓いた道を歩くとき、その道を拓いた人間は既に自分より先に行っていることを忘れてはいけない
((ちょっとここから物語風(?)の偉そうな(?)記述が続いたので今回それはカット…後日公開するかはまた後日決めます))

まあこんなことを書いている暇もないんだけれど

何だか最近、と言ってもここ何か月か
「悲しみの本質」をなんとなく掴み始めた気がしている
(今回のタイトルは「悲しみの本質」をピヨチなりにかっこつけて😎フランス語で書いてみたんだけどあってるかはわからない。)
自分の思う悲しみなのだろうか、それとも一般論なのかはまだわからない
けれどあくまで抽象的に、悲しみってこんなものだと思う、
悲しみっていうのは、「何かがあるべきところにない」ってことだと思う
「ある」っていうのはもちろん物理的な意味ではなく、でも一方物理的な意味でもこれは十分に通じて
抽象的な意味でね、色んな「悲しみ」や「切なさ」みたいなものを捉えると、
事例によってはかなり抽象化していくと、何かが「あるべきところにない」ことで一致することが多いと思うんだ
今のところ自分の見解はこれで一応固まってる
「悲しみ」って説明できないものだと思ってた
もちろん具体的には定義できない
だけど抽象的に、きっとこうなんだと思う。






2018年1月11日木曜日

MMXVIII

2018年

閉めたカーテンの隙間から太陽の光を覗いた
そのことを忘れないように生きる日々
眩しい光を睨む
深い闇に瞳孔を開く
でもそれが正しいことだと知る
冬の澄んだ夜空に浮かぶ星
セブンスターの煙越しに眺めるオリオン座
この地球から見る星空と同じ星空を、ベテルギウスから見ることはできないと知る
カーテンの内側の世界と外側の世界


2017年12月29日金曜日

🐤✖

下書きを2つ増やしてしまった…
なんだかブログって無駄なことをたくさん書いてしまう

反省の日々
溜め息
みるくをごくごく…
学ぶって、悲しい

2017年12月11日月曜日

pillow & bear

午後の太陽に照らされる雲の浮かぶ晴れた冬の空を、1人窓から眺める日曜の午後
風邪なのか何なのか分からないが、しかしきっと風邪気味なのだろう、
ペンを握ったまま少しぼうっとして、5番目のグノシエンヌのメロディが耳に流れてくる
この部屋は冬の寒気を防いで、エアコンの暖気で満ちている
動く物は自分だけ
部屋の中を認識しているのも自分だけ、シュレディンガーの猫のように
体調が傾ぐと思考が歪む
それを正す作業、自分は鉛筆や緑のマーカーで線を引きながら本を読み進める
『国家はなぜ衰退するのか』、『ヨーロッパの政治』
どちらにも互いに似たようなことが書いてある部分がある
特にイギリスの名誉革命に関する記述がそうだったと思う
フランス革命についてもだ―
かのナポレオン・ボナパルトについても
自分は高尚な学問の道に立っているように感じる
しかし同時に焦りも感じる、
自分はもっとやるべきことがあるように感じる
そういう自分をなだめる
忘れる
本当に正しいこと、本当に重要な原理というのは世の中に数少ない
それを探求するという熱意に、自分はいささか欠けるところはあるものの、
そうした真理の存在というものの存在に半ば気付きながら
しかしそれに達することができないということには確信を得る
人間というのは皆、0でなければ最大でない
サティの音楽は―
自分にとって実証主義的に響く
意味が分からないと思う、きっと世界の誰に言っても分からないと思う
ジムノペディ然りグノシエンヌ然りJe te veux然り…
それらは、それが鳴る景色で既に起こったあらゆることを半ば認める
追認する;後から、それが既に起こったことであると、そして効力をもつことであると認める
それらは、NO、敬意を表してフランス語で言えばNON、を突き付けない
それらは、この痛ましい世界を、諦めながらも受け入れるかのように聴こえる
これが、サティが好きな理由だ
あくまで、極めて個人的な感想
1人きりの思考がいっぱいに積もると、こういう、客観性にかなり欠けた「訳の分からない」ことを考え始める
だからだめなんだ
刑法総論の本を開いても、そこに書いてあるのはまだ「訳の分かること」
思考を研ぎ澄ますことは逆にそれを鈍らすことに近い
まるでひとつの円のように
ある地点から右に進めば、同じ地点へ左から帰って来る
ぼうっとした頭で考えたことは正しくないこと
そうに違いないと思いながら、居間からかすかに流れてくるワイドショーの音声を嫌う
コーヒーだけは休日中いつでも美味しい
今は傷んだ喉を、焼酎が焼くように撫でる
そろそろ薬を飲んで寝よう
家にある風邪薬のパブロンは他の横文字の感冒薬と同じく西欧の薬だから、身体に入ってきては横暴に鼻水を止め、代償として鼻と喉の間が乾燥して痛むような感覚をもたらす
ヨーロッパというのは罪深い
少なくともアフリカが貧しいのはヨーロッパのせいだ、
世界の諸悪の根源はヨーロッパにある
漢方薬たる葛根湯を飲んで寝ることにする
アジアは愚かで薄汚いが美しい
日本はその点、アジアのそういう面と西欧の合理的な思考を兼ね備えた素晴らしい国だ
日本人であることは誇りに思った方が良い
ナショナリスト、右翼と言われようが日本は美しい
この国は悪党ヨーロッパよりも、鬼畜米英よりも優れた国
日本の領土に枕を置き、そしてしかし日本なんかよりも愛しいミミちゃんを想いながら
眠りにつける夜はなんと幸せなことか。