俺はいつも、きみのことを想っているんだ
いつも、どうしているかな、って
変な心配はしないようにしてる
俺は、君を信頼しているよ
信頼する、って言っても、それは一般的に、難しいことだよね
誰かを信頼する、って簡単なことじゃないと思う
それでも俺は、君のことは信頼したい
君が俺を信頼するかは、君の判断にまかせる
だけど、俺はもう何か変なことは、しない
だからいつも、安心していていいんだよ
むむむ
最近、なんだか特にバイトで、あまりうまくいかない
俺は上手くやろうと思ってるんだけど
なかなか、自分の仕事を当たり前のようにこなす、ということが難しい
それは頭の良し悪しとかの問題じゃない、
もちろんタスクをいかに効率よく消化するかということは頭も関わってくる
だけどそれをいかに正確に実行するか、それが問題だ
加えて、何か予想外のことが起こったときに、それにうまく対処するってことも求められる
俺はそこにも問題がある
俺はその部分の調子も悪い
なんだか、頭を回転させて、事をマネージすることが
上手くできない
スランプ、みたいなものなのかな
おかしいな
そういえば今日(昨日)、大学で誰ともしゃべらなかったな
当たり前だけど
自分のコミュニケーション能力の低さ…だけど
その点、君にとっては懸念事項が減るんじゃないかな
だから、喜んでいいんだよ
俺は、別に、大学の誰かと喋りたいと思ってるわけじゃないからね
むむむ
強がって、強がって、我慢して、自分が内側から崩れていく
その法則に、俺はもう従いたくない
とにかく抗うことだ
俺ができるのは…
2016年10月27日木曜日
2016年10月21日金曜日
jail
俺は自分のやることは心得ているつもりでは居る
自分のやるべきこと
自分のあるべきすがた
でもそれをやっぱりいつも意識しすぎてる気がする
そのせいで俺は人間関係や、自分のちょっとしたミスすら、後から考えて許せなくなる
俺は自分を叱責してる
俺は完璧主義者ではないと言いつつも、俺は自分にその傾向があることは分かってる
でもそんな俺に対して自分自身はそんなに甘くない
俺は自分に、何か物事を完璧に成し遂げる力がないのであれば
俺は自分は完璧主義を標榜するべきではないと思ってるから
それは俺に限った話じゃなくて、いろんな人が心に抱いていることではあると思う
というか、大っぴらに自らの完璧主義を標榜できる人は、よほど自分に自信があるんだと思う
多くの内在的な完璧主義者は、周りに自分の至らなさを察されても自分の評価を汚さないために、その完璧主義であることを隠してるんじゃないか
完璧にできないのであれば、それによって自分が羞恥の念に囚われたり、自分自身に落胆したりするような完璧主義という性格は邪魔でしかない
だけど、それを捨てることもできない…特に多分それを目指すわけでもなく、それに意図的に近づこうとしているわけでもない人々、完璧主義的な性がある期間に薫陶されてしまった人々、或いはそれを天賦の性として持ち合わせている人々にとって
邪魔でしかない、とはいっても、その傾向によって自分を成長させるし、それによってある程度の目標を達成するに至るようなこともある
それに、その完璧でありたいという高邁な精神と、しかしそれを成就できないことによる悔恨の念、その混淆によってより深い精神が得られるのも、個人差は頗るあれど確かだと思う
むむむ(´・ω・`)
自分のやるべきこと
自分のあるべきすがた
でもそれをやっぱりいつも意識しすぎてる気がする
そのせいで俺は人間関係や、自分のちょっとしたミスすら、後から考えて許せなくなる
俺は自分を叱責してる
俺は完璧主義者ではないと言いつつも、俺は自分にその傾向があることは分かってる
でもそんな俺に対して自分自身はそんなに甘くない
俺は自分に、何か物事を完璧に成し遂げる力がないのであれば
俺は自分は完璧主義を標榜するべきではないと思ってるから
それは俺に限った話じゃなくて、いろんな人が心に抱いていることではあると思う
というか、大っぴらに自らの完璧主義を標榜できる人は、よほど自分に自信があるんだと思う
多くの内在的な完璧主義者は、周りに自分の至らなさを察されても自分の評価を汚さないために、その完璧主義であることを隠してるんじゃないか
完璧にできないのであれば、それによって自分が羞恥の念に囚われたり、自分自身に落胆したりするような完璧主義という性格は邪魔でしかない
だけど、それを捨てることもできない…特に多分それを目指すわけでもなく、それに意図的に近づこうとしているわけでもない人々、完璧主義的な性がある期間に薫陶されてしまった人々、或いはそれを天賦の性として持ち合わせている人々にとって
邪魔でしかない、とはいっても、その傾向によって自分を成長させるし、それによってある程度の目標を達成するに至るようなこともある
それに、その完璧でありたいという高邁な精神と、しかしそれを成就できないことによる悔恨の念、その混淆によってより深い精神が得られるのも、個人差は頗るあれど確かだと思う
むむむ(´・ω・`)
2016年10月20日木曜日
behind
今日バイトで一つ失敗しちゃった
というか、仕事一つしないまま家に帰ってきちゃった
俺はバイトでも、金がもらえる仕事はなるべく完璧にこなしたいし
まあ完璧なんてないけど
一定の向上心を持って、極力効率的にタスクを消化するべきであるという最低限の認識は持ってる
むむむ
というか、仕事一つしないまま家に帰ってきちゃった
俺はバイトでも、金がもらえる仕事はなるべく完璧にこなしたいし
まあ完璧なんてないけど
一定の向上心を持って、極力効率的にタスクを消化するべきであるという最低限の認識は持ってる
むむむ
2016年10月17日月曜日
2016年10月16日日曜日
sincerely
俺は君を普段
傷つけてしまって申し訳ないと思ってる
君を怒らせたり、悲しませたりした色んなやり取りの後で
俺は申し訳ない気分になる
それでも分かっていてほしい
俺はいつも君のことを愛していることを
…俺にとっては、君だけだから
俺が、自分の気持ちを表して、
自分の、嫌な部分やダメな部分を露わにできるのは君だけなんだ
"自分の不機嫌な顔を見せられるのが本当に大切な人"みたいな言葉があるけど
俺にとっては本当にそうなんだ、
俺にはどんな時だって君しかいないんだ
俺の本当のすがたを知っているのはこの世に、君だけなんだよ
いつもごめんな、
愛してるんだ
傷つけてしまって申し訳ないと思ってる
君を怒らせたり、悲しませたりした色んなやり取りの後で
俺は申し訳ない気分になる
それでも分かっていてほしい
俺はいつも君のことを愛していることを
…俺にとっては、君だけだから
俺が、自分の気持ちを表して、
自分の、嫌な部分やダメな部分を露わにできるのは君だけなんだ
"自分の不機嫌な顔を見せられるのが本当に大切な人"みたいな言葉があるけど
俺にとっては本当にそうなんだ、
俺にはどんな時だって君しかいないんだ
俺の本当のすがたを知っているのはこの世に、君だけなんだよ
いつもごめんな、
愛してるんだ
2016年10月10日月曜日
Sevastopol
俺はどうしたものか
俺は今更
何につまずいているんだ
むむむ
最近ラップトップを、文字のごとく膝の上に置いて
部屋に籠っていることが増えてね
最近は天気も悪い
曇り空で、地面が濡れている朝なんて
Stanとかを聴くにはちょうどいいんだが
あまり風が強いと、なんか音楽を聴く気分すら吹き飛ばされてしまって
部屋にはトムとジェリーの、巧妙な音楽(YouTubeで観たりしてた)と
たまにキーをタイプする音
銀さんの声、ぱっつぁんのツッコミ
それが聴こえるだけでね
部屋の中の空気が自分の肺を出入りしたそれで一杯になって
俺はこの部屋と一体化しているように感じる
俺はこの部屋に
自分の要塞みたいな、
そんなものを築いてるような気がする
君は入ってこられる唯一の存在
将来、2人の要塞を築こうか
入ったときは2人でも
君の中から3人目が出てくるかもしれないけど
そうなったら要塞なんて言ってられなくなるけどね
まあ、それで
ネットサーフィンなんかしてたらたまに、結婚相談所的な…そういう広告を見かける
それ見るたびに思うんだ
結婚相手を探すって、間違った行為だよって
俺は、最初結婚なんてしない方が良いと思ってた
だけど君を大切に思うようになって俺は変わった
そもそも、"結婚"ってこと自体に関して思いが変わった
結婚って、最初からそれが目的で相手を探してするものじゃないよな
俺はもちろん、そんな結婚相手を探すサービスを使ったことなんかないけど
多分、危機感を覚えたひとが
男なら身長体重とかから、職業はもちろん、年収とか、学歴とか?晒して
女はよくわからないけど
そんなんで相手に目星をつけるんだろ
そんなのって馬鹿げてるよ
まあ、利用者もわかってるかもしれないけど、
というのも利用者は俺たちより年上で、それに頭のいい人もそういうの使ってるんだろうし
俺たちみたいに(別に傲慢な意味じゃない)
こうして運命を感じる相手を得られなかったんだろうな…
ディスってはないよ、本当に
憐憫というわけでもないけど
それにネットの出会いもまあ一つの形の縁であることは間違いないけど
本当の愛を見つけられるのかなそういうのって、って思う
見つけられるやつらは見つけられるかもしれないけど、少数派かなって思う
そんな意味でも俺は幸せだよ
俺のことを本当に想って
俺に甘えてくれる一方で
男の俺の方にも甘えさせてくれて
汚い部分も認めてくれたり、認めてくれようとして
今なら頷いてくれるか
"結婚相手を選ぶなら、一緒に幸せになりたい人より、この人となら不幸になってもいいって思える人を選べ"的な格言みたいなやつ
これは男は言っちゃいけないよな
だけど俺もわかるんだ
俺はもちろん将来君を幸せにしたい
今まで君が流してきたすべての涙を拭ってあげたい
もし俺が仕事で何かヘマをして
すべて失っても
俺と美咲が愛し合えていれば、それでいいよなって
ごめんね、やり直すからって
いや、だから失敗してもいいなんて俺は1ミリも思ってないよ
俺は君を幸せにしたいから
俺はもっとかっこつけないとダメなくらいかもね。
俺は男なんだよ、君はレディだし
むむむ
風呂でJim Hall & Pat Metheny のAll Across the Cityを聴いていた
ジャズギターを聴くとススキノ3を思い出すようになって久しい
俺は今更
何につまずいているんだ
むむむ
最近ラップトップを、文字のごとく膝の上に置いて
部屋に籠っていることが増えてね
最近は天気も悪い
曇り空で、地面が濡れている朝なんて
Stanとかを聴くにはちょうどいいんだが
あまり風が強いと、なんか音楽を聴く気分すら吹き飛ばされてしまって
部屋にはトムとジェリーの、巧妙な音楽(YouTubeで観たりしてた)と
たまにキーをタイプする音
銀さんの声、ぱっつぁんのツッコミ
それが聴こえるだけでね
部屋の中の空気が自分の肺を出入りしたそれで一杯になって
俺はこの部屋と一体化しているように感じる
俺はこの部屋に
自分の要塞みたいな、
そんなものを築いてるような気がする
君は入ってこられる唯一の存在
将来、2人の要塞を築こうか
入ったときは2人でも
君の中から3人目が出てくるかもしれないけど
そうなったら要塞なんて言ってられなくなるけどね
まあ、それで
ネットサーフィンなんかしてたらたまに、結婚相談所的な…そういう広告を見かける
それ見るたびに思うんだ
結婚相手を探すって、間違った行為だよって
俺は、最初結婚なんてしない方が良いと思ってた
だけど君を大切に思うようになって俺は変わった
そもそも、"結婚"ってこと自体に関して思いが変わった
結婚って、最初からそれが目的で相手を探してするものじゃないよな
俺はもちろん、そんな結婚相手を探すサービスを使ったことなんかないけど
多分、危機感を覚えたひとが
男なら身長体重とかから、職業はもちろん、年収とか、学歴とか?晒して
女はよくわからないけど
そんなんで相手に目星をつけるんだろ
そんなのって馬鹿げてるよ
まあ、利用者もわかってるかもしれないけど、
というのも利用者は俺たちより年上で、それに頭のいい人もそういうの使ってるんだろうし
俺たちみたいに(別に傲慢な意味じゃない)
こうして運命を感じる相手を得られなかったんだろうな…
ディスってはないよ、本当に
憐憫というわけでもないけど
それにネットの出会いもまあ一つの形の縁であることは間違いないけど
本当の愛を見つけられるのかなそういうのって、って思う
見つけられるやつらは見つけられるかもしれないけど、少数派かなって思う
そんな意味でも俺は幸せだよ
俺のことを本当に想って
俺に甘えてくれる一方で
男の俺の方にも甘えさせてくれて
汚い部分も認めてくれたり、認めてくれようとして
今なら頷いてくれるか
"結婚相手を選ぶなら、一緒に幸せになりたい人より、この人となら不幸になってもいいって思える人を選べ"的な格言みたいなやつ
これは男は言っちゃいけないよな
だけど俺もわかるんだ
俺はもちろん将来君を幸せにしたい
今まで君が流してきたすべての涙を拭ってあげたい
もし俺が仕事で何かヘマをして
すべて失っても
俺と美咲が愛し合えていれば、それでいいよなって
ごめんね、やり直すからって
いや、だから失敗してもいいなんて俺は1ミリも思ってないよ
俺は君を幸せにしたいから
俺はもっとかっこつけないとダメなくらいかもね。
俺は男なんだよ、君はレディだし
むむむ
風呂でJim Hall & Pat Metheny のAll Across the Cityを聴いていた
ジャズギターを聴くとススキノ3を思い出すようになって久しい
2016年10月4日火曜日
anxiety 3
今日は本当に早く寝ようと思うから、今日は手短に
さっき美咲と話して、頭痛の原因を考えて
よく考えたら俺は
確かに大学でも、何もないようでいて
君にも言うほどじゃないようなこと、チカホで君に会ったらもう忘れてるような瑣事が
いくつかは確かに、今思い出すと頭に残ってた
俺は大学で、何の授業だったか
ガイダンスに出席して、その参加人数が予想よりも多かったとかでレジュメが足りなかった
それで講師が、知り合いがいる人は2人で1枚を見るようにって
俺に知り合いはそこに、一人もいなかったから、普通に着席して俺の方にレジュメがまわってくるのを待ってた
だけど俺の席だけ来なかった
俺の斜め前に人がいて
その人に束がまわってきたけど、その人は俺とは反対側の斜め後ろ(その人から見て)に回していった
紙は4枚くらいあったと思うけど、俺の手には1枚も回ってこなかった
講師が"レジュメ貰ってない人いますか"って言ったけど、誰も手は挙げないし
まあ手を挙げたところで、紙はもう無いわけだから
俺は仕方なく、一つ空けて隣に座っていた男に頼んで、見せてもらった
本当、小学生みたいだよな…別にこんなこと気にしてたわけじゃないけど…まあ、いい気分ではなかったけど
まあ座ったところの運が悪かったのかな
でもおかげで、知らない人に話しかけて、その男と割と近い距離で1枚のプリントを共有することになったのは疲れたな
それにその人は、1年生じゃないようにも見えたし
まあ途中から、そのレジュメの写真をiPodで撮らせてもらって、俺はそれを見てたけど
…この話、黙っててごめんね
でもその日は美咲と会った時にはもう、忘れてたんだ
今日は
彼ら(実名は避けるけど、美咲にも言った今日の昼に会った例の2人)といて
勿論、居づらいわけじゃないけど
なんだかやっぱり、距離を感じるというか
美咲と話しているときのことを考えると、彼らと話しているときの自分は全然自分ではいられない
俺は引け目を感じているのかな、
俺は正直、彼らには敵わないなって思ってしまう
いや、でもなんだか1学期の時はそれほど感じていなかったような気もして
まあやっぱり、夏休みを経て、その麻痺が解けたのかもしれないけど
なんか気を遣ってしまう
それにそもそも混み合った教室で、周りに知り合いが1人もいなくて
それなのに周りの人は友達で固まって喋ってて…みたいな疎外感って
結構感じるな
それに俺は1学期はたいして単位をとってないし
例の彼らとかみたいに、大学の履修についての事とかもよくわからないし
なんだか俺は、状況なんて1学期の時と変わってないのに、気付けば
大学で落ち着ける場所がなくなっていた
むむむ
池はもう寒すぎて行けない(駄洒落)
図書館の、岩波文庫の書架の前に立ち止まって
自分の頭の中にあり、なおかつ興味のある人の作品を手に取って開いて
そうか、こういう感じなんだ、って
大抵は元の場所に戻して
フローベールの"紋切型辞典"は借りてみて
みたいな
一方、最近外を歩くときにイヤホンをして音楽を聴くことが減った
大学の中ではちょくちょく、イヤホンしてるけど
なんか、高校1年生のときみたいだ
俺もなんだか、気付かないうちに人ごみに晒されることに神経質になっていたかもしれない
奴らなんか気に留めるほどじゃない、とわかっていても
みんな同じ大学で、それなりに学力があって、それでいて楽しそうに談笑する友達がどの講義にもいて、なんて思ったら
ちょっとなあって思っちゃうよね
こんなこと言ってたら、大学いきたくなくなっちゃう
(21時44分)
さっき美咲と話して、頭痛の原因を考えて
よく考えたら俺は
確かに大学でも、何もないようでいて
君にも言うほどじゃないようなこと、チカホで君に会ったらもう忘れてるような瑣事が
いくつかは確かに、今思い出すと頭に残ってた
俺は大学で、何の授業だったか
ガイダンスに出席して、その参加人数が予想よりも多かったとかでレジュメが足りなかった
それで講師が、知り合いがいる人は2人で1枚を見るようにって
俺に知り合いはそこに、一人もいなかったから、普通に着席して俺の方にレジュメがまわってくるのを待ってた
だけど俺の席だけ来なかった
俺の斜め前に人がいて
その人に束がまわってきたけど、その人は俺とは反対側の斜め後ろ(その人から見て)に回していった
紙は4枚くらいあったと思うけど、俺の手には1枚も回ってこなかった
講師が"レジュメ貰ってない人いますか"って言ったけど、誰も手は挙げないし
まあ手を挙げたところで、紙はもう無いわけだから
俺は仕方なく、一つ空けて隣に座っていた男に頼んで、見せてもらった
本当、小学生みたいだよな…別にこんなこと気にしてたわけじゃないけど…まあ、いい気分ではなかったけど
まあ座ったところの運が悪かったのかな
でもおかげで、知らない人に話しかけて、その男と割と近い距離で1枚のプリントを共有することになったのは疲れたな
それにその人は、1年生じゃないようにも見えたし
まあ途中から、そのレジュメの写真をiPodで撮らせてもらって、俺はそれを見てたけど
…この話、黙っててごめんね
でもその日は美咲と会った時にはもう、忘れてたんだ
今日は
彼ら(実名は避けるけど、美咲にも言った今日の昼に会った例の2人)といて
勿論、居づらいわけじゃないけど
なんだかやっぱり、距離を感じるというか
美咲と話しているときのことを考えると、彼らと話しているときの自分は全然自分ではいられない
俺は引け目を感じているのかな、
俺は正直、彼らには敵わないなって思ってしまう
いや、でもなんだか1学期の時はそれほど感じていなかったような気もして
まあやっぱり、夏休みを経て、その麻痺が解けたのかもしれないけど
なんか気を遣ってしまう
それにそもそも混み合った教室で、周りに知り合いが1人もいなくて
それなのに周りの人は友達で固まって喋ってて…みたいな疎外感って
結構感じるな
それに俺は1学期はたいして単位をとってないし
例の彼らとかみたいに、大学の履修についての事とかもよくわからないし
なんだか俺は、状況なんて1学期の時と変わってないのに、気付けば
大学で落ち着ける場所がなくなっていた
むむむ
池はもう寒すぎて行けない(駄洒落)
図書館の、岩波文庫の書架の前に立ち止まって
自分の頭の中にあり、なおかつ興味のある人の作品を手に取って開いて
そうか、こういう感じなんだ、って
大抵は元の場所に戻して
フローベールの"紋切型辞典"は借りてみて
みたいな
一方、最近外を歩くときにイヤホンをして音楽を聴くことが減った
大学の中ではちょくちょく、イヤホンしてるけど
なんか、高校1年生のときみたいだ
俺もなんだか、気付かないうちに人ごみに晒されることに神経質になっていたかもしれない
奴らなんか気に留めるほどじゃない、とわかっていても
みんな同じ大学で、それなりに学力があって、それでいて楽しそうに談笑する友達がどの講義にもいて、なんて思ったら
ちょっとなあって思っちゃうよね
こんなこと言ってたら、大学いきたくなくなっちゃう
(21時44分)
2016年10月2日日曜日
die neue Jarhreszeit
また新しい季節が来た。
秋、
空気の匂いも既に夏のそれではない。
夏から冬へと季節が入れ替わろうとする季節に、色づく樹々は最後の存在感を表すかのように
俄かにその葉を色付け、そして散らせていく
人は夏の新緑を尊ぶと思えば、次には違うことを考え始め
やがてその健康的な木々の青葉に目を留めることもなくなる。
しかし、散り際のその、葉の最期の瞬間の派手な赤や黄に目を留める。
人々がその、所謂紅葉を美しいと思うのは、死していく葉にある種の自然の摂理を感じ、その儚さを美としている、という節があるのではないだろうか
日本人であるならば、それくらいの豊かな感受性を持ち合わせているはずである…というよりかは、持ち合わせていてほしい。
そんなことを呑気に考えてるというのは、往々にして暇人の所業であろうか。
俺は自然に対する敬意を持っている。
人は自然という大きな揺りかごの中に生まれるも、そこに人工的に作り上げた社会に自らをねじ込んでは音を上げ、それでもその愚かしい現実を受け入れて生きていく人がいれば、ドロップアウトしていく人たちもいる。作られたヒエラルキーに居づらさを感じ、人間の関係に嫌悪感を覚える。本来、自然にはそんなものはなかったはずだ…大きな揺りかごの中で、どうしてそんな肩身の狭い思いをしなければいけないのか?
そう疑うのは、しかし視点を変えれば、また浅はかな考えであった。
人間はいずれにせよ、自然という大きな揺りかごの中から抜け出すことはできない。ここは自然の産褥でありながら、自然の共同墓地であるのだろう。
そういう考えはもとから、俺の心の中にあった。人は、自然環境を破壊しようと、自然界において発生しない物質を作り出そうとも、ある民族を殲滅しようとも、自然そのものを犯すことはできない。簡単に言えば、すべての人間の所業もまた、すべて自然であるということだ。つまり、人間はどう足掻こうと、この自然から逸脱することはできない。いくら自然の摂理に反した行動を起こしても、それもまた自然の働きである。
つまりは、人は自分の居づらい世界を、"人工の"もののせいにすることはできないのだった。なぜなら、"人工"というのはつまるところ、"自然の"働きに過ぎないのだから。
しかしこの考えは、ある程度思慮深い人間を絶望の底に突き落とすだけだろう。しかし、人間には狡知という天賦の打開策が与えられている。
自分ではわかっていても、例えば自分の居づらい状況があったとして、それを自然のせいだから仕方ないと飲み込むことは、敬虔なキリスト教徒にでもならなければ耐えられないだろう。
ここまで来ると、情けないかもしれないが、この"人工"というものを、自分の考えを保留して専ら自然と切り離して捉え、あくまで自然とは違う人工というものに、罪を着せるしかないのだ。
だから、やはり、この大きな揺りかごの中にいると頭で理解しつつも、結局"人工"というバーチャルな敵を頭の中に作り出さざるを得なくなる。
人工の中に、専ら快楽を見いだせないとすれば、俺の中にデカダンスを賛美する素質というものは、おおよそなくなってしまう。
しかし、俺はそうではない。
自然の中に美があるとして、すると人工の中に美が無いわけがあるだろうか?
人工とは、人間による加工を以って姿を変えた自然である。
話が二転三転するようであるが、その、人工的であるようでいつつも、しかし自然と言わざるを得ないものに対して、諦めに近いような感覚をもって、そこにもまたある種の捻じれた美を見いだせる。
一方、自然的であるようでいつつも、しかし人工と言わざるを得ない(念のため捕捉すれば、しかしその人工というものもある種の自然の働きである)というものに対しては、儚さに近い感覚を以って、確固たる美を見出すことができる。
つまるところ、俺の中の美というのは、多くの場合、諦めや儚さを伴う。そういった美に分類されるのは、音楽、文学、家財道具、所持品、そして人間の理性などである。
一方、そうでない美、自分がそれに敬意をもってその偉大なる美を感じるものは、森林や山河などの風景、そして君の肉体などである。
君のむちむちとした体、ぷにぷにの腕…というのは自分の本能的な好みを完全に体現しており、その君の体、そしてその内に宿る君独自の理性を勿論含めて、自分の心に適う美である。((これ真面目な顔でかいてる))
しかし自分の思っていることを完全に書き出すのは難しい。
少なくとも自分の中で"高尚な精神活動"と呼べるものをこねくり回すのは、案外疲れを伴うものだ。
それでも自分の理論の整合性に関しては、かなり注意を払ったつもりだ。
秋、
空気の匂いも既に夏のそれではない。
夏から冬へと季節が入れ替わろうとする季節に、色づく樹々は最後の存在感を表すかのように
俄かにその葉を色付け、そして散らせていく
人は夏の新緑を尊ぶと思えば、次には違うことを考え始め
やがてその健康的な木々の青葉に目を留めることもなくなる。
しかし、散り際のその、葉の最期の瞬間の派手な赤や黄に目を留める。
人々がその、所謂紅葉を美しいと思うのは、死していく葉にある種の自然の摂理を感じ、その儚さを美としている、という節があるのではないだろうか
日本人であるならば、それくらいの豊かな感受性を持ち合わせているはずである…というよりかは、持ち合わせていてほしい。
そんなことを呑気に考えてるというのは、往々にして暇人の所業であろうか。
俺は自然に対する敬意を持っている。
人は自然という大きな揺りかごの中に生まれるも、そこに人工的に作り上げた社会に自らをねじ込んでは音を上げ、それでもその愚かしい現実を受け入れて生きていく人がいれば、ドロップアウトしていく人たちもいる。作られたヒエラルキーに居づらさを感じ、人間の関係に嫌悪感を覚える。本来、自然にはそんなものはなかったはずだ…大きな揺りかごの中で、どうしてそんな肩身の狭い思いをしなければいけないのか?
そう疑うのは、しかし視点を変えれば、また浅はかな考えであった。
人間はいずれにせよ、自然という大きな揺りかごの中から抜け出すことはできない。ここは自然の産褥でありながら、自然の共同墓地であるのだろう。
そういう考えはもとから、俺の心の中にあった。人は、自然環境を破壊しようと、自然界において発生しない物質を作り出そうとも、ある民族を殲滅しようとも、自然そのものを犯すことはできない。簡単に言えば、すべての人間の所業もまた、すべて自然であるということだ。つまり、人間はどう足掻こうと、この自然から逸脱することはできない。いくら自然の摂理に反した行動を起こしても、それもまた自然の働きである。
つまりは、人は自分の居づらい世界を、"人工の"もののせいにすることはできないのだった。なぜなら、"人工"というのはつまるところ、"自然の"働きに過ぎないのだから。
しかしこの考えは、ある程度思慮深い人間を絶望の底に突き落とすだけだろう。しかし、人間には狡知という天賦の打開策が与えられている。
自分ではわかっていても、例えば自分の居づらい状況があったとして、それを自然のせいだから仕方ないと飲み込むことは、敬虔なキリスト教徒にでもならなければ耐えられないだろう。
ここまで来ると、情けないかもしれないが、この"人工"というものを、自分の考えを保留して専ら自然と切り離して捉え、あくまで自然とは違う人工というものに、罪を着せるしかないのだ。
だから、やはり、この大きな揺りかごの中にいると頭で理解しつつも、結局"人工"というバーチャルな敵を頭の中に作り出さざるを得なくなる。
人工の中に、専ら快楽を見いだせないとすれば、俺の中にデカダンスを賛美する素質というものは、おおよそなくなってしまう。
しかし、俺はそうではない。
自然の中に美があるとして、すると人工の中に美が無いわけがあるだろうか?
人工とは、人間による加工を以って姿を変えた自然である。
話が二転三転するようであるが、その、人工的であるようでいつつも、しかし自然と言わざるを得ないものに対して、諦めに近いような感覚をもって、そこにもまたある種の捻じれた美を見いだせる。
一方、自然的であるようでいつつも、しかし人工と言わざるを得ない(念のため捕捉すれば、しかしその人工というものもある種の自然の働きである)というものに対しては、儚さに近い感覚を以って、確固たる美を見出すことができる。
つまるところ、俺の中の美というのは、多くの場合、諦めや儚さを伴う。そういった美に分類されるのは、音楽、文学、家財道具、所持品、そして人間の理性などである。
一方、そうでない美、自分がそれに敬意をもってその偉大なる美を感じるものは、森林や山河などの風景、そして君の肉体などである。
君のむちむちとした体、ぷにぷにの腕…というのは自分の本能的な好みを完全に体現しており、その君の体、そしてその内に宿る君独自の理性を勿論含めて、自分の心に適う美である。((これ真面目な顔でかいてる))
しかし自分の思っていることを完全に書き出すのは難しい。
少なくとも自分の中で"高尚な精神活動"と呼べるものをこねくり回すのは、案外疲れを伴うものだ。
それでも自分の理論の整合性に関しては、かなり注意を払ったつもりだ。
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