2018年11月25日日曜日

この前気付いたんだ

自分は勉強をしてできるだけ色んなことを知ろうなんて思って、
勉強は役に立たないなんてことはないし、
むしろ「すぐに役立つものはすぐに役に立たなくなる」なんていう立派な言葉を信じて、
だから日本が大学に対して、すぐに役に立つような人間をつくるべく、
大学教育の本来的な趣旨を没却するような政策を進めることが、
おかしいと思っていた。
確かに自分の考えはきっと間違いではないんだと思う、
けれどそれはエリートの世界での話だった。


自分がエリートの星の下に生まれなかったのはずっと前から分かってたはずだ。


いつだったか政治学の講義で、
封建制度に立脚した身分制社会における古典的保守主義について、
人間はそれぞれの身分に相応しい教養を身につけるべきで、
むしろそれ以上やそれ以下の教養を持つことは不適切だという話を聞いて、
その意味が今になって分かった気がするよ。
自分が求めている教養、自分の考えていた「あるべき姿」というのは、
自分にとって不適切ということだった。


自分の身分の低さはこれでもある程度わきまえているつもりだった、
けれど学問において自分は傲慢だったのだろう、
勉強するということが意味するのは、
単に何かを学ぶということではない、
あくまでも身分に相応しい教養を身に付けるということだった。


自分の身分に、今自分がしている勉強は相応しくないし、
つまり、自分は「すぐに役に立つ勉強」をすればいい、
すぐに役に立たなくなる人間になればいいということに、
何故これまで気付けなかったんだろうか。


立派な教養を持つのは東大生や京大生、その他優秀な大学の学生に任せておけばいい。
自分はなんて分不相応なのだろう、
自分の大学の名前をもっとよく見て、
自分は精々田舎の一地方の大学生であるということをわきまえて、
つまり大して立派な教養を持つには相応しくないということを、
しっかりと心に刻んでおくべきだった。


つまり、勉強それ自体の中に役に立たないものはないと思うけれど、
「ある人にとって無駄な勉強はある」ということだと、
自分は考えを変えるに至った。


P.S.
先日音楽を投稿したので、お時間があれば聴いてね☕
低音があるのでイヤホンなど推奨です
soundcloud


2018年11月18日日曜日

知的に研ぎ澄まされていることが必要なんだけれども
反比例するように人間性が鈍くなっているように感じる

2018年9月17日月曜日

decolor (faded vividity)

浅い精神世界の追体験。
灰色の森など薄い概念、かと思えばもう一度同じ場所に辿り着いて気付く
心の中にある灰色の森は今でも変わらず、重く冷たい。
抜け出すことのできない鬱蒼とした森
色の抜けた白い夜空を透かす樹々の隙間から覗く記憶の断片。
眠るときに瞼が下りるように、自分の愚かさや情けなさが悲しみや恐れに蓋をする。
白と黒の鍵盤が紡ぐ旋律は他の色を生み出し
褪せた世界を淡く彩る。
空を舞う羽根のように軽く、
鉛のように重く
そのループは琴線に触れて心を震わす。

2018年8月22日水曜日

お絵描き

ペイントでぴよをかいたよ
なふだもつけてあげたよ

2018年8月19日日曜日

笑止千万

今までのあらゆる選択に後悔は無いけれど考えてみれば自分のための人生なんて元々用意されてなかったと思えばいいしされていたとしても自分はそれを選ぶ勇気がなかったから自己責任なのであって自分の人生に責任を持たなければならないのは確かだからそうやって生きていく他の道はないのだろうし何より今更考えたところでこれ以外の生き方も自分の人生をどう設計したいのかも自分の希望なんてものが全く見当たらないので他の道というのは一切考えられないからこれが自分の模範解答に違いないと信じることがこれからの人生にも解答を与え続けることは間違いなくて客観的に見れば実際自分は成功しているのだろうから他人から見れば自分のような人間は何かに迷う必要なんて一切ないのですべての人間の模範的な生き方がこの自分の人生のようなものだとすれば自分はもっと胸を張って生きれるはずで確かに今までの人生の中で失敗なんて一つも無いのでこれが21世紀のすべての人間が求める正しい生き方なのだからいつかこれが報われるに違いないけれど今の自分にその時が訪れるのかも分からないしこうやって時間を浪費すること自体に罪悪感を覚えることが自分の首を絞めるように今が何をするべき時間なのかを考えながら生きていくことが窮屈だとしてもこれが将来の成功への道なら誰しもが前に進むだろうから自分はこういう人生を歩めていることに感謝しながら毎日一日を大切に生きていこうと思うということが今まで自分が思っているすべてのことだとすれば自分を取り巻く環境は温かく冷たいということを説明しやすいけれどこうして書いてみると自分の愚かさがひしひしと伝わる悪文が生まれるから結局普段の自分は見えない何かと戦い続ける愚かな人間という程度に思っておいてほしいと思うのと同時に自分は誰かに尊重されるべき人間ではないと思うし自分の中の自分が作り上げた自分に向かう意識が鏡のように自分を監視し続けるから自分の行動の一つ一つへの採点は止むことを知らずつまるところもはやどうにも動くことのできない中途半端でどっちつかずな最もつまらない愚かな人間がこの自分という人間であると思っておいてもらえればそれで自分という人間の必要かつ十分な説明になっている

2018年7月31日火曜日

expensive return

未だろくに知らない「自業自得」という言葉の意味を笑って誤魔化す毎日
逃げて後回しにしてきたツケの一部
信用で借金してその一部を今回払わなきゃ、
今学期は今までよりたくさん休んだから。
大して深い意味があるわけでもない
ただ試験を前にして、毎回思うことを
そしておそらくほとんどの人が思っているありきたりなことを
改めて思う切羽詰まった夜
本当に切羽も手も詰まる日はいつかな
こんな試験なんかじゃなくてもっと大変な事
「自業自得」の本当の結果を知る日
誤魔化す笑いすら消える日

2018年7月1日日曜日

ダメな自分
ばつ
ぬるい
ブルーのボトルに反射する時刻
また雨が降ってる
自分のダメさ加減には本当に嫌気が差してます。
ビール
ウォッカ
音楽

だめ

skit~G街~ / 鬼
新宿、G街
星がしらけ面で笑いかけ
白々しく明ける空見上げ
新宿、歌舞伎1丁目の長屋
汗で濡れるポケットの中は
5千円とちょいあと1パケ
サングラスの下は僻んだ目
何考えてるか、てめえですら分からず うすらかすら
何となく辿り着く馴染みも
色付けるは青白い待ち人
おもむろに傾けるグラス
メンソール紫の煙揺らす
その目は落ち窪み黒ずむ
街は透明に近いブルー
鈍る思考 いじくる鼻孔
日は昇る 来る日も来る日も
美しくも眩しさにくらみ
長屋の陰に縋りそのいびつさに
ガキの時分に観た映画を
思い出し冷汗拭く今も
見つからないよ見えてるのに
肩を叩いては消えてくとき
すれ違う者もどこか虚ろ
その目はいつどこで何を映すの?
行き止まりならやり直せるかい?
ここは罪深く暗い
ネズミと猫が仲良くゲロ啜る
金蠅の羽音が耳くすぐる
脂汗に睦言よりは静けさ
閉じた唇が告げた
ぬくもりは路地裏の蜃気楼
自問自答より幻を信じよう
色濃い影にうごめく歯がゆさと苛立ちを
押し込むイラマチオ
光らないようやり過ごす嵐を

新宿には行ったこともないしもちろん薬も見たこともないけど
LSDの幻覚を再現したビデオの光景を思わせる音楽
鬼の歌詞は他の人にはなかなか書けない

今日のブログはもう一つあります
それは先月末くらいまでの間に少しずつ書き溜めたもので、
日曜日とかじゃないと時間が無いかと思ってなんとなく公開します。
鬼の歌詞に関するもので、実は上に乗せた歌詞も今日聴き取ったものではありません。
こんなチは、こんなことをしている場合ではないのですが…

火宅の人

今回は前から書いていた、鬼のアルバム「火宅の人」の最初の数曲を自分なりに割と深く考察したものを投稿しようと思う
読み辛いところもあると思うし、それに鬼の世界観をよりリアルにするために特に歌詞については難しい漢字も敢えて使ったからお手数をおかけしてしまうかもしれません。
それでもやっぱり特にこれらの曲はまさに、それっぽい言葉をかっこよく並べただけの中二病的な薄い内容では決してなくて、本当に「文学」と言うに値するほどの内容を持っていると個人的に思うし、読めば読むほど色んな解釈、指摘が可能であってここに書ききれないこともあるとは思います。
壮絶で本当に苦しんだ鬼の人生とは正反対のような、何も経験していない甘ったれた幸せな生活をしている自分がこうして偉そうに考察を書くのは誠に僭越で、おこがましくて、こうして勝手な解釈を垂れ流すのは恥ずかしい限りだけれど、それはどうか一個人の稚拙な感想として寛大に受け止めていただきたいです…
書くのに時間がかかったし、きっと読むのにも時間がかかってしまうと思います…ごゆっくり読んでください。




懊悩 / 鬼
懊悩、それは悩み悶えること
または煩悶、それは悩み悶える様
憎しみの連鎖、断ち切る苦しみ
足掻くイメージ 未来、選択する意味
所詮一人、刻々と変わるシナリオ
どう生きても今日も明日には過ぎた昨日

怯えてた、投げ槍なバイオレンス
テンパるサイコパス、出生のオーディエンス
女の嘘に躍る純情に気圧され 独り善がりじゃ、何を抱いてもダメ
狡猾な唇、雌蕊揺らす百合の花
首筋で抜けた、薬指の穴
矛盾に見えた、隙を突く淫猥
赤い回転灯、浮かぶ歌舞伎町の深海
足元がぐらつく、手元が震える
無意識な表層化、ああ、気が狂っていく
実感としての 非日常はある日
悲しいほど、笑ってたらしいタクシー
誤魔化し隠し君は偽る、
目前の選択肢に 死が居座る
僕を抱き締める、不埒な愛のベッド
暗がりのベッド 壊れる、マリオネット
脳髄が作る、心という概念
新宿サブナード、鳴り響くサイレン
地表は青空、雑踏、耳鳴りが
止まず覆うガード、空港が走り出した

脈絡のない、癪に障る残像 は消えない不安と、燃え尽きたブラント
妄念や嘘、シュールや、フィクション
今日も普段通り、絡め取るアディクション
濁流は悪辣、引き込むスパイラル
私と僕が、俺の中喰らい合う
支離滅裂泳ぐ情念の河
次の朝溺れる、小便の泡

血も境遇も薄情で無感性
母の死体を、眺め呷るブランデー
吐いて踏みつぶす、人並みの幸せ
妬まれるほど、野心抱いただけ

血も境遇も薄情で無感性
母の死体を、眺め呷るブランデー
穿いて踏みつぶす、人並みの幸せ
妬まれるほど野心抱いただけ

血も境遇も薄情で無感性

母の死体を、眺め呷るブランデー


懊悩は鬼の出所後2017年のアルバム「火宅の人」の一曲目に収録されている曲。この曲は途中まで比較的抽象的な印象の内容を描くのみで具体的な事件や一貫した物語に触れられていないように見えるが、最後の部分で「母の死体」という言葉を含む節が繰り返されていることから鬼の母がもしかしたら本当に死んだと考えることができ、それを踏まえると、この曲も大部分は母の死が鬼に様々な記憶を呼び起こさせたという内容が語られていると考えられる。鬼の母に対する恨みはこれまでの曲「消化不良」などでも語られており、この曲の冒頭の、憎しみを断ち切る苦しみという内容は恐らく母の死に際して湧き上がってきたものではないだろうか。そうして悩み悶えることこそがまさに「懊悩」であり、この曲のタイトルである。
「怯えてた、投げ槍なバイオレンス」は恐らく鬼が幼少期に母親の交際相手から受けた虐待を指しており、その後の部分も彼が生まれた境遇が決して恵まれたものではなかったということが示されていると考えられる。これもまた、これまでの曲で歌われていたことであり、それも踏まえるとこの曲のそれ以降は彼の人生をなぞった歌詞(ヴァース)であると思われる。
「首筋で抜けた薬指の穴、矛盾に見えた隙を突く淫猥」は彼の母親の不倫を指しているのか、それとも歌舞伎町で起こっていたことを指しているのかは判然としないが、そうした不埒な惚れた腫れたを鬼が直接目にしていたことは間違いない。そしてその後で、彼は結局自分もまた別の「不埒な愛のベッド」に溺れていることも分かる。ちなみにこれが彼の母親の話であることを推測するのは、同じく「消化不良」と「糸 feat. BES」に根拠がある(特に「隙を突く淫猥」の意味は、「消化不良」の「中1で始めた新聞配達、冬のかじかみに厳しさ味わう 白い息吐き走る少年、ただいまの声も、唖然呆然 情事に耽るママとボーイフレンド 何人目?しかも不倫に虐待、勘弁して」、そして「糸」の「 Sunday morning 玉子焼き焼く、何を思い裸で抱き合う」や「あの日々、目にした情事の醜さ」を踏まえるとその意味をイメージしやすい)。いずれにせよ、「雌しべ揺らす百合の花」は非常に詩的な表現であると思え、百合の花の雌しべは花から大きく飛び出して先端が粘着質であることから、それを「揺らす」というのは淫乱を指す表現として秀逸である。
このヴァースを終えて残りの部分は鬼の葛藤を表していると考えられる。母の死を受けて彼の人生の区切りとしてこれまで書いたような複雑な感情があり(「私と僕が俺の中喰らい合う」、「支離滅裂泳ぐ情念の河」)、まさに「煩悶」する鬼の様子が残りで描かれている。普段通りの日常(「ブラント」はマリファナの摂取方法の一つ。つまりは煙草の巻紙にあたるもので、内側に葉っぱを詰めて吸う。厚紙を折り曲げるなどして簡易的なフィルターをつけることもある(そうすると内側に詰めた葉っぱが口に入ってこない)。ちなみに大麻製のブラントも日本でも入手可能なようである(合法かはノーコメント)。アディクションは中毒を意味するが、彼が現在も中毒者であるかどうかは分からない。彼は現在家庭を持っているはずである)を送る一方で、頭の中にはそうした感情が渦巻いている(「母の死体を眺め呷るブランデー」)が、「次の朝溺れる小便の泡」と薄汚く茶化して終わるような運び方はいかにも鬼らしい表現である。
このように、この曲は全体として(鬼の曲にありがちではあるが)背景がぼかされたような、本当のストーリーを掴みづらいような印象を受けるが、様々なことを考慮すると実は彼の思考が正確に記述されている曲でもある。
また深読みしすぎかもしれないが、「私と僕が俺の中喰らい合う」というのは自分の中に複数の自分がいるというだけではなく、「私」は大人の自分、「僕」は子供の頃の自分であり(事実、他の作品の中でも小さい頃の自分を「僕」としている)、その両方を経験しすべてを含めた現実に存在している自分が「俺」であると考えることもできる。そうして母を憎む若い自分と、自らもまた欲に溺れ母に対しても理解を示そうとする大人としての自分との葛藤が自分の中で起きていると考えることはこの曲全体の趣旨にも合致しているように思える。


僕も中毒者 / 鬼
僕も、中毒者
何かに、なれれば 自分でいられる
携帯、気になる 着信にメール
あの世界からの称賛と拍手
日ごと慣れていた幻聴と悪臭
死に方も決まらず問わず語る、
人たちを笑う、乞食がくたばる
不安ばかりの生き方でも、迷わず居れる 誰もが俯いてる
昨日今日のツケばかりの明日明後日
騙し騙され誤魔化す分かって
見失う自分、我ながらシニカル 歪んだ口睨む
乞食の骨と、蟻の群れ
信号で止まる、隣の夢
路上に雲描く水溜まり
あの子が吐く唾に溺れた蟻

見る影に振り落とした妄想 人知れず涙、零した東京
辛いのは、死ぬまでですか? あの子は頷き、慰めてくれた
見る影に振り落とした妄想 人知れず涙、零した東京
辛いのは、死ぬまでですか? あの子は頷き、慰めてくれた

一晩中、歩いてた街から街
矛盾する執着は実在が無い
確かに、何か しようとしていて
その何かに隠されていたテーゼ
妄念に見る幻想、縫い付ける影
笑いながら腐れ、狂ってくだけ
淘汰される、無駄なDNA
流行の歌ぐらいは聴いてるぜ
実感する醜さ、枯れる唇
笑うハイド、笑ってるジキル
雑踏の波間に、死者への踊り
澄まし顔した西口の物乞い
あの日を境に強くなった僕たち
元々居場所はない、彷徨う街
思想や宗教は微塵の欠片、
風の匂いも進化の過程だ

見る影に振り落とした妄想 人知れず涙、零した東京
辛いのは、死ぬまでですか? あの子は頷き、慰めてくれた
見る影に振り落とした妄想 人知れず涙、零した東京
辛いのは、死ぬまでですか? あの子は頷き、慰めてくれた


この曲では「あの子」という存在が不思議な印象を与えている。非合法な活動をする毎日の中で女性の協力者がいたのかもしれないが、これは事実に基づいた話かは分からない。
そうした不安定な生活の中で自尊心を失ったような内容が、どこから持ってきたのかというような不穏な、まさに中毒的で小気味の良いトラックの上に乗ったこの雰囲気は他のアーティストではなかなか聴くことはできない。このトラックは歌詞とあいまって本当に切なく悲痛で、しかしどこか不思議な印象を与え、懊悩と似た雰囲気ではあるがある種の恐怖のようなものさえ感じる。
1ヴァース目(歌詞の最初の塊)も最後に「あの子が吐く唾に溺れた蟻」と、薄汚く結んでいるのはやはり鬼らしい。なお、この曲全体としてではあるが、特に1ヴァース目は鬼の視線がかなり下にある、もっと言えば地面ばかり見ているというのが印象的である。蟻という生き物はまさに地を這う小さな生き物であり、「飴に群がる蟻の如く」という「精神病質」の歌詞にもあるが、この曲では「路上に雲描く水溜まり」から「あの子が吐く唾に溺れた蟻」と、彼の視線は常に下を向いている。
なお、「淘汰される無駄なDNA」と「流行の歌ぐらいは聴いてるぜ」では、「DNA」と「聴いてるぜ」で韻を踏んでいる。


ようこそ悪夢へ / 鬼
Welcome [to? 以下略] nightmare
ようこそ悪夢へ
眠り慣れた枕、浮かんでくまどろみの欠片
いつもより伽藍洞な部屋
窓辺に烏の妙な目が、
項垂れた、笑う影が
告げる悪夢幕開け、ひゅるりひゅるり隙間から歌う風
せせら笑う月の口角は避け
揺れる曼殊沙華、うだる汗
きつく閉じた瞼 気配溢れ
硬くなる身体逃げあぐねる
耳元に血生臭い息遣い
部屋は苦しいほど霧深い
本能が泡出す想像力
意識、無意識、朦朧と泳ぐ
住み慣れたワンルーム東京の夜
自分の声が、魍魎(もうりょう)を呼ぶ

Welcome nightmare, Welcome nightmare
ようこそ悪夢へ
Welcome nightmare

水の音が止む
流れ出したシナリオ
ずぶ濡れの知らない人
震える身体吐瀉物に鍵の群れ、掴まれた二の腕
ホルマリンの水槽、無数のまばたき
動く眼球のから騒ぎ
白眼を剥き指差し高笑い
何か分からないがそれは災い
いやが上にも始まる結末
夢の中これで眠れるはず
影が起き上がり俺を見下ろす
嫌味な唾吐き声押し殺す
恐れじゃなく凍えが縛る
末端は凍傷、黒く変わり出す
ほろぼろと崩れる、死の絶頂
目が覚めた病院のベッド

Welcome nightmare, Welcome nightmare
ようこそ悪夢へ
Welcome nightmare

ようこそ悪夢へ


この曲は例のタワーレコードのジャズ・ピアノのコンピレーションアルバム2にも収録されていたDuke PearsonのI'm A Fool To Want Youが大胆にサンプリングされている。I'm A Fool Want Youを演奏しているアーティストは他にもいるだろうが、ここで使われているのはDuke Pearsonで間違いないだろう。この録音の質感の暗さ、不穏さが鬼の曲に非常によく合っている。
内容としては完全に薬物中毒者のそれであり、この曲のほぼ全てが幻覚や妄想を描いている。この曲は特に、歌詞を聴き取る上でミスが多そうだ。
鬼自身が意図したのかは分からないが、曲中で物質の「硬さ」が徐々に増してきている。というのも、最初は「ひゅるりひゅるり歌う風」「血生臭い息遣い」であり、「苦しいほど霧深い」と物質が空気から水へと変わると、「水の音が止」んで「ホルマリンの水槽」と動かない液体へと変わり、「凍えが縛る」と温度が下がったと思うと「末端は凍傷」になるほどの凍った世界へと移行して終わる。(「密度が高くなる」のかと思ったが、よく考えると密度は氷よりも水の方が高かったはずであったことに気付いた。)
ここで特筆すべきことは、途中に現れる「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」である。これはより一般的な呼び名で言うところの「ヒガンバナ」のことであるらしく、それは「墓地に咲く花」であり諸説あるものの「死の象徴」であるとされることもあるらしい。そして実際にヒガンバナは有毒の植物である。なお、ヒガンバナは有毒であるものの毒を抜いて(おそらく根などを?)食用とすることもできるらしく、飢饉を救う植物ともいわれるらしい。ヒガンバナのヒガンとは「彼岸」もしくは「悲願」のことであり、彼岸とはあの世のことを指す。曼殊沙華という呼び名は仏典によるもので(鬼は不思議と仏教的な色彩を持つ用語を使うことが多々ある(「咽び泣く夜」など))、それによれば「天上に咲く花」ともされているらしい。これらのことを全て敷衍すると、ここで鬼は曼殊沙華を薬物の象徴としているとも読める。有毒な曼殊沙華は薬物と同様に「死」へと道を開くものである一方、その毒に殺されないようにその快楽を吸い出す(飢えを逃れる)。つまりこの解釈によれば、死という不吉な象徴であり一方で天上という神聖な世界の象徴でもあるというヒガンバナの二つの相反する意味合いを矛盾させない形で「薬物」に結びつけることができているのである。しかしここまでの含蓄を鬼がこの「揺れる曼殊沙華」という一言に込めたのかは怪しく、実際のところは恐らく、墓地に咲く不吉な花→死の象徴、という程度に理解しておくのが適当と思える。もしくは、ヒガンバナ→彼岸→あの世の象徴、という程度であろう。



2018年6月27日水曜日

beautiful

午前1時半
家に帰ってからはご…を食べて、
それから買ったスカイウォッカをさっそく開けて飲みながら
なんとか夜もちゃんと頑張れた
ヴェポライザーで、おうちでもぷかぷか休憩を挟めるのはありがたい
いつの間にか雨が降ってる
明日になって荒れてなければいいけれど
するべき選択から逃げてきたツケが回ってきた、なんて
やっぱり考えてしまうし
将来というものが近づいてくるのがずっと怖かったのかもしれない
失敗しないことに腐心してきた人生が馬鹿みたいだ
自分がつまずけば誰かが笑う気がしてた
というか今もそうだよ
失敗しないことに今もずっと囚われてる
その「誰か」の目線や顔色なんて自分に関係ないことは分かってるのに
これが最低限の、それでも人よりは幾分高いかもしれない自尊心だとすると
自尊心という言葉が意味するものの中で、これは最も矛盾をはらみ得るタイプのものかもしれない
自分が笑われないようにするため、外面を保つために本当の自分を殺すことは本当に自尊心といえますか
なんて言ったところで、今じゃただの腰抜けで
そんなこと考えてもいなかった
酒は飲んでるのに不思議と酔わないし、目は乾いてまぶたも重いのに頭だけは妙に冴えてる
本当の自分なんて若者らしい言葉に聞こえるね
けれどそんなものはいつの頃からか、見えなくなった
まあ悲しいとも思わない
再発見するつもりも毛頭ない
元から存在しなかったように思えてくる
非常に空虚に響く
すべてはなるようになるのだから
人間はその結果を見て満足かどうかを感じることができるに過ぎないし
これを厳格に考えるなら「満足できる仕事に就く」なんてことはある意味、順序に逆らうことなのかもしれない
そう考えると自分は正しい
でもこの正解が本当に望ましい人生観なのかは分からない
それでも、そういう人生観でもせめて大切なひとを幸せにできるのならば
あながち悪いことでもない、むしろ十分美しい人生なんだと思う

2018年6月18日月曜日

garbage

自分に何ができるだろう
ヴェポライザーに煙草の葉っぱを詰め
リキッドを2,3滴垂らして
煙を吐き出す
リキッドを増やすと煙が増える
もくもくと
そんなことだけ
それだけの日
こんな自分が偉そうに笑い
穀を潰す
本当に申し訳ない
ほんの1週間体調を崩しただけで
自尊心も膝から崩れ落ちるように
惨めな自分の抜け殻だけが立ち尽くして
空っぽの頭と体を煙で満たして馬鹿みたいに
ニコチンがいつもより多く入るからとても静かになって
もっとやるべきことはいっぱいあるんだろうな
一日の半分以上を寝てろくでもなく過ごし
最近は午前3時にもなれば外が明るい
寝る前の朝日は妙に不快で
そんな昨日のことを思い出して
ああ本当に馬鹿な自分
僕は甘えて生きて周りも僕には優しいし
そんな生活の何が辛い?
笑うしかない目も当てられない
僕は恵まれてるし幸せだしこんな人間は世界の上位数%に違いない
それの何が問題なんだろう
僕は幸せなはず
何が不満なのか自分に問いたい
自尊心が云々とか何故そんなことをぬかしているんだろう
なぜ僕は正しく全てを受け入れられなかったんだろう
僕は本来ちゃんとした人間になってるはずだった
全てが良い条件の中で結果だけが悪いなんていうことはあるのかい
人生をつくる選択にすべて失敗は無かった
こんな人間は何も考えなくて済むはずで
第一こんな甘えて生きてる人間に苦悩なんて感じる権利も
そんなものを語る権利もない
甘えて生きてるこんな人間は
世界で最も情けなくて汚くて
最も生きる価値のない人間だと思うから本当に生きてて恥ずかしい

2018年6月10日日曜日

fine line

バイトから帰ってきた
家の中は寝静まって暗い
痛みを増す喉
風邪薬を飲み込む
喉と身体を温めるためにお湯を沸かして味噌汁を飲む
そして喉を消毒すると自分に言い訳してウォッカを飲む
洒落たブルーのボトルから注いだ旨いウォッカとインスタントの味噌汁
ダサいけど仕方ない
ヴェポライザーは本当に喉を傷めるから今日は控えてる
温かいものを飲むと本当に喉が心地良い
ようやく落ち着いてきて今日のことを振り返る
今日は本当にダメな一日だった
実際価値のあることはほとんどしていない
勉強もあまり
なんだか喉が痛むと身体を動かすのも怠くなるというか
外にいるなら無理はしたかもしれないけれど、おうちにいると休んでしまって
そして今日はバイトに珍しく社員さんが来てて
まあその人はチがこのバイトを始める時に電話して初めて喋った人なんだけれど
その人はバイトの色んな人と気さくに喋る感じの、まあ普通のおじさんで
チは中でも割と長くいる側に回ってきたから顔も名前も覚えてくれてて
そろそろ就職も近くなってきてることも知ってるから、
田原君が居なくなったら困るな、とも言ってくれて
まあ、最近は人も増えて、例のイケメンももう一人の男もちゃんとやってるみたいだし
多分チがいなくなってもノーダメージだと思うけど
そして話が流れてまたチの話になって
大学のこととかを聞かれて、まわりの人もその話を聞いてるから
あの大学に行っててすごいとか、実家から国公立に通ってて親孝行だとか言ってくれて
きっと親がちゃんとしてるんだ、とかも
でも自分なんてすごい人じゃ全然ない
親も至って普通の人
自分は本当に自分がすごいなんて思ってない
自分がちゃんとした人に見えるのは紙の上だけ
過大評価
逆にプレッシャーで
この先失敗したら、今までそうやって自分を評価してた人たちに合わせる顔もない
無駄なプライドがあるせいで、
結局自分は人に評価されたいのかされたくないのか、自分でも分からない
自分はそんな、超真面目な人間じゃないけれど
良い子であり続けるっていうのは周りが羨むほど簡単なことでも、
楽しいものでもない
ただ皮肉にもそれであり続けることは結局のところ自分の利益にもなる
ちゃんとした高校、大学に入っていいところに就職
自分は全国的にはそんな良い位置には居ないけれど
そういう筋書きは誰もが羨むもので、実際それは良い生き方だから
でも失敗しちゃダメなんだっていうプレッシャーに苛まれる
一歩でも踏み外すことが恐ろしくなる
本当に楽しい生き方というのは
この世のどこにあるんだろうな

そして明日は試験
学科の勉強をほとんどしていない
はっきり言ってヤバい
追い込まれてる感がある
体調のコンディションも微妙
試験を受けるには金がかかるし落ちたら補修の金もかかる
こんなところで落ちるわけにはいかないんだよ
踏み外したらアウト、だからね…笑
あ、印鑑どこやったかな
持ってかなきゃいけないらしい
今探したけど見当たらなかった
自動車学校の書類に押したやつと違うやつならあった
…面倒だな

こんな感じで日曜日、か
なんだか今週は先が思いやられるな
美容室に行きたいけれどそんな余裕があるかどうか
平日に、めいっぱい活動して
疲れ切って週末は倒れるような生活
休日は寝るためにあるんじゃないよね
本来もっと有意義なもののはず
自分もそうしたいけれど
なんかダメだね
自分への尊敬、とか
自分を褒める、とか
そんなこと言ってる場合じゃないよね
むしろこんな自分に活を入れて
尻を叩いて働かせなきゃって感じで
自分の存在を正当化できる理由って実際
自分の存在を否定する理由よりかなり少ない気がするね
何言ってるんだろう
がんばろう


そして昨日、あまりメッセージを送れなくてなんだかごめん…
LINEも気を遣わせちゃって
それでも本当にずっと、想ってるから
いっぱい、いっぱい愛しているから…
たったひとり、どんなときも
ゆいいつの存在なのだからね…




2018年6月4日月曜日

throat

ようやくちゃんとまた歩き出す気になったかと思って
昨日一昨日の長いおやすみから目を覚まして
午前中のラジオはあまり聴かないから電源を消して
シャツの襟とバイトの黄色いエプロンのポケットをこするために風呂場へ
昼間に聴くにはちょっと浮世離れした印象
適当にお気に入りのG-Funkを流しながら、バリバリの90年代で
窓を開けると夏のような匂いがして空は晴れていて
洗剤の匂い、灰皿を吹いた雑巾のタールで汚れたのかポケットからは深いグレーの水が出て
エプロンをごしごしして洗濯機の中へぽいっと放ってシャツの襟をごしごし
シャツはエプロンほど汚くないから桶にお湯を張って、その中に洗剤を溶いてみたよ
そこにシャツを入れて襟や袖をこする
今まであまり気にしていなかったけれど、だいぶ汚れていることにふと気付いて
だからごしごし
あまり綺麗にはならなかったよ
この一部始終を見ていた人は誰もいない
ただ音楽が鳴って、洗剤が泡立って
窓からは風が流れ込んで
水の音がして
客観的にはそれだけ
他に何も特別なことはない

ヴェポライザーの芋の匂いにも慣れ
ニコチンをおうちでも摂取できるように
今もなんとなく、吸いながらこれを書いていて
でも喉への負担が強くて
ビールとズブロッカで潤しながら
慣れというのは恐ろしくて
だいぶ焼き芋の匂いかもしれないけれど、今じゃアメスピを加熱した匂いが
とてもいい匂いに感じて本体側面の通気口を
くんくん嗅いでいるよ
どうしてこう
ニコチンやアルコールって気持ち良くなるんだろうな
こんなだめな人でも
それらを摂取できる
歳だけ大人のまだ子供
さすがに情けなさを肴に酒は飲めない

ビットコインで勝負に出た
25000円ほど買った
上手くいけば、3500円ほど儲けられる
今までの儲けが倍になる、元手の5万円が5万7千円に
ちっぽけだけど一か八かの勝負
でももちろん適当に買ったわけじゃない
最近の値下げの流れがそろそろ底を打ったと踏んだよ

忙しいのに長くなってごめんよ

とってもあいしてるよ
自分は情けない存在だけど
いっぱい愛してる
いつも心の中で抱きしめてるよ
またミちゃんの匂いを嗅ぎたい
ミちゃんはチの、ゆいいつのひとなんだからね…


2018年6月1日金曜日

zubrowka2

空いたビールの缶
鬼の唄
電気スタンドの明かり
カーテンの隙間
脱いだままのシャツ
逆さの教科書
ジッポーのオイル
刻一刻と刻む時計

現実から半分目を背け
それでも逃げ切れず虚ろな目
何を思うわけでもなく黙る
脳裏にこびりついたミちゃんの肌の匂い
不意に恋しくなるその匂い
腕の匂い、
太腿の感触
唯一の愛にもたれかかる感情
ダメ人間でも…温まらせてください
なんて思いながら甘えながら

2018年4月29日日曜日

"未来を語り、明日を考えず絶えず高く飛ぶがために焦る
ゆるぎない思いと力を持するのみだから加速するループ
祈りながらベッドに沈む、汗にじむ夢の彩りはまだら
入り組む裏町の路地塗り潰す、クレバス 日も暮れだす
過去を美化できるだけご立派
いびつな、折り合いと辻褄"
―精神病質 / 鬼

酒を飲んで誤魔化す
十分とは言えない自分の稼ぎで買ったウォッカが喉を焼く
その感覚にも慣れ、40度の酒を毎日飲んでれば慣れもするが
20度の焼酎が水のように感じる
親の脛かじり偉そうに酒を飲み煙草を吸う
安い英国製カリンスカ、14ミリの細いラーク
それで気が紛れるなら安い気さえする
でも全ては忘れるためのもの
単に旨いから酒を飲むんじゃない、何かを忘れるために酒を飲む
そうしている間は、この甘ったれにとって厳しい世界のことを考えずに済む
今までのツケが回ってきている、
だが清算は―、もっと後になるに違いない
今はある種の麻酔、合法的なアルコールとニコチン
寿命と金を削って一時的な簡単な快楽を得る
自分がしょうもない奴だということを忘れさせてくれる
自分が人よりも劣っているのは分かってる
そろそろ動き出さないといけない、
そういう切迫した意識を和らげてくれる
こういうのがダメだということは分かってる
意識を高く持とうが何しようが、結局自分はそういう呪縛から逃れることはできなかった。

"成り上がりのプッシャー 偏見の目だけで十分だぜ"
―何食わぬ顔してるならず者 / 漢

自分は周りのブルジョワ連中とは違う、なんて思っていた時期があった
確かにそれは今でも思いはする
だけど今の自分の有様を見れば、自分も結局親の脛かじって生活させてもらっているに過ぎない人間で
その点、自分は親が金持ちで何不自由なく過ごしてきた人と同じ
差なんて幾らもありはしない
のほほんと現状に甘んじて生きてる
その癖にそのブルジョワ連中を蔑む資格なんてない気がしてきた
ずっと苦労してる人なんてたくさんいる
自分は高校の中のアウトサイダー気取りで、酸いも甘いも嚙み分けたような勘違いした面を下げて
しかもそれは今も変わってない
自分は何の苦労もしてない、一般人にすぎない癖して…

"そうしたいならそうすりゃいい
こうしたいならこうすりゃいい
間違ってるとか正しいとかどうでもいい話にしか聞こえない
ストレスに押しつぶされそうな夜、酒を飲んでまた失くした記憶
酔っぱらいのいつもの決まり文句「ひっくり返してやるいつか全部」
描いていたものとは程遠く、現実が今日を打ちのめす
自業自得なのは分かってるこの道を選んだのは自分"
―DOGG RUN TOWN / D.O

成果を出すことに囚われる一方で
「大学のうちに親の脛を齧ってでも学んでおくべきことはたくさんある」
なんて言ってたことを思い出す
確かにそれは事実で、大学に行くことというか人生の中の大学生という時期に学ぶべきことはたくさんある
物の見方とか考え方とか
それに自分も最初のうちは言語を勉強したり自分の専門を放り出していたと言えるくらい、別のことをやってた
だけど今思えばあのときから自分の専門を勉強しておくべきだった
目標は早く決めるに越した事はない
そして今になって、自分は本当は多分市役所で働くための勉強をしなくちゃいけなくて
なのに経済法の判例集を買ってみたり、そんなことをして
結局一つに狙いを定められていないのは確か
というか狙いも何も、
自分は今、銃を構えているのかもわからない
「どんな的が出てきても撃ち抜けるように」って部品を磨いているのかもしれない
けどもう自分が狙うべき的は定まってるはずなのに
的を見るのが恐い?
そうかもしれない
もう逃げてる場合じゃないっていうのは分かってる
漠然とした不安とかそんなこと言ってる場合じゃなくて
尻に火をつけて動き出さなきゃ間に合わない時期にまで来てるはずで
もたもたしても失敗しても自己責任
一発で当ててやるっていうプレッシャーを作り出してるのは間違いなく自分
初めての技能教習で車を動かすのが自分にとってすぐにできるようなことではないと知った
既定の技能教習の数はマニュアルだと15回で
仮免に受かれなくて数を増やすことになるとその都度補修としてその金がかかるというシステムで
それを補うために予め金を払っておく「安心コース」という料金設定もあるけれど自分は通常コースで申し込んだ
だから順調に一発で受かり続ける必要がある、仮免も、そして免許を取るための最後の試験も
親の金で甘えてるからそれくらい頑張るのは当然
親の金で自動車学校に行かせてもらってるから補修の金も自分で払うのは当然
当たり前のこともできないようじゃ自分は失格
もし仮免やらに落ちたら、単純に試験に落ちるという意味だけではなく
そういう意味でも不合格
自分の尻も拭えない未熟な人間なのに
「自己責任」なんて言葉を使う自分もどこか勘違いしてるように思える
今の自分が果たせる「責任」なんてたかが知れてる
裏付けがなければ責任は担保できない
「責任」という言葉は重い
まあ、ここで言ってるのは主に経済的な意味での責任ってことだけれど

" 'cause it's no such luck
There ain't no such thing
Can't blame the stars or fever of spring
No such luck
There ain't no such thing
Something's always goin' wrong..."
―No Such Luck / Michael McDonald


このブログは2日に分けて書いた





2018年4月22日日曜日

休みなく動いているつもりの平日
でも無駄が多すぎる
というか他にやることがない
そんな気持ちで勉強しても、進むものも進まない
独りでいる時は勉強以外以外にすることと言えば本当に何もなくて
今まで自分は勉強以外に何をして過ごしていたっけ、なんて思うけれど
そんなことを言えるくらいに自分は勉強ばかりしてきたわけでもなくて
むしろ自分は勉強ができるほうだとは本当に思っていない
なんかもはや、他にすることがないからしている感じ
というか他のことに没頭している暇なんてないと思って
「やりたいことをやった方が良い」とか「自分の好きなことを忘れるな」みたいなことをまるで大事なことみたいに偉そうに言う人が世間にはいるけれど
自分はそうは思わなくて
自分の「好きなこと」を本当に極めるほど「好き」なひとなんてほとんどいないんだから、自分がそこまでの人間かどうかを早いうちに見極めて中途半端に時間を浪費するのを避けた方が良いと思う
まあ自分の場合好きなことっていうか趣味なんてほぼないけれど
音楽なんてものは確かに好きだけれどあれは自分の人生にとって脇役にしか過ぎないから
極めようなんて全く思わないし多分自分の将来にとっても何の役にも立たない
音楽は往々にして現実逃避の道具にしかならない
服を買う金もない、買う服を選ぶには自分は時間をかけすぎる傾向があるからそれも抑えたい
自分はこの社会で何の役に立ってるかと言えば、本当に何もないと思う
だから遊んでいるのは本当に罪で、何か生産性のあることをしなければダメなんだと思う
何かを食べに行くにもそれは金のかかることで、とにかく何をするにも金というのはかかるから何かをするよりもまずは金をつくることや金を節約することにもっと心血を注ぐべきなんだと思う
それはとても分かっているからバイトを増やしたいし金も節約したいしプラスアルファの収入を得たい
けれどバイトを増やすうえでは忙しいという言い訳をしたり節約という割には酒や煙草を買いビットコインも相場を追うのが大変で今は完全に及び腰で
自分は結局何かを始めたようでいて何もできていないっていうことが明らかだ
何かを始める、何かを頑張ると思って動き回ろうとしてたけど自分という人間は本当に情けなくて汚くて、なんというか結局、弱音を吐いてばっかりなんだよね
自分は情けないと思ってもそれをカバーすることなんてできやしないし、だからといって諦めるわけにはいかないからどうにかしようと思うけれど自分は中途半端な人間だから結局何もしないままなんだと思う
忙しくしていれば、なんとかそうやって頑張っていれば自分も少しは救われるだろうかと思ったけどこれは本当に笑えるほど、自分の中途半端さっていうか打たれ弱さみたいなものが露見しただけで、結局自分は何も変わってない
本当に自分が馬鹿みたいだなあって思っても情けないっていうか恥ずかしいし、自分がこんな人間だってことを他の人たちが知ったらみんな自分のことを馬鹿にすると思う
みんなが自分をどう思ってるのかなんて知らないけれど、正直周りの人が自分を馬鹿にしたとしてもみんなは間違ってないと思う
自分がそうされるに値する人であるというだけの話であって
とりあえず勉強すること自体が目的になったらだめだと思う
自分は本当に醜いから、勉強さえしていれば自分が生産性のある人間になった気でいそうで嫌だ
目標はもっと先にあると思って生活しなければいけないけれど正直のところ自分が法律家になれる自信なんて殆どない
公務員ですら、というか自分がまともに大人として働けるなんて想像がつかない
自分は本当はこうなるべき人間じゃなかったんだとさえ思う、自分は失敗作なんだと思う
自分がここまで大学に入ってきてしまったけれど、それは自分が偶然人よりも少しテストの成績が良かったからで、自分が元からそうじゃなければ自分もまた、昨日バイト先に来てたような土方みたいな人たちの中に埋もれていたんだと思う
確かにその点では自分も地元の他の人たちと同じ道の上に居たと思う
高校に居たような人たちと同じ道の上に居たとは思わない
ただ決定論を否定するつもりはないからこうなってしかるべきなんだと思うけれど
自分はなんでこんなに何もできない、虚勢を張る以外に能のない人間になってしまったのか
自分は「するべきこと」をするようにしてるけどそれも常に続けられない自分が嫌で、本当は自分は休んでいたらダメなんだと思う、自分は何かに奴隷のようにこき使われ身を粉にして働いて、みたいなそういう扱いをされなければ自分の価値を認識できないのかもしれない、だから結局自分は惰眠を貪り無駄に飯を食べそうやって甘やかされて、自分で自分を甘やかして親の脛かじって甘ったれて本当にくだらない日々を送って終いにはこうやって「自分が情けない」なんて戯言を抜かしてるんだと思う
自分は本当に甘やかされているしぬくぬくと生きているってことが分かってる、だからそれを変えたいけれどそれができない自分が嫌
本当はもっとするべきことがあるんだと思う
自動車学校についてもそう自分は親に金を出してもらいながらやる気が出ないみたいな本当にクズの典型で
だから嫌だろうと何だろうととにかく真面目に学科を取り技能教習も取って早いところ免許を取ろうと思う
自分は一人じゃ生きていけない本当に惨めで憐れな吹けば飛ぶような存在なのに偉そうに酒を飲み煙草を吸い本当に馬鹿みたい
自分は何か勘違いをしているんだと思う
けれど寝る前に口に含むウォッカは温かく沁みるように旨いし疲れた頭の緊張を休憩の煙草は解いてくれる
本当に甘えて生きてる
こんな意気地なしを生かしておいてくれるこの世界もまた同じように甘い

自分みたいな恵まれた幸せな人間は
もっと頑張らなきゃいけないはずなのに
自分がやっていることと言えば何事も中途半端で
世界の多くの人はきっと自分ほど恵まれても幸せでもないと思う
それでも頑張ってる
自分は一体、何を知ったつもりで偉そうにして、何を見てきたつもりで人生を語り、何をしてきたつもりで心臓を動かしているのだろう
中途半端な知識の一つも語る暇があるならそれを完璧にするように勉強をした方が良い
自分のしていることが隅から隅まで気に入らない

所詮尻の青い世間知らず

2018年4月3日火曜日

🌙

ウォッカを飲むと簡単にほろ酔い
今は例の鎮静剤が効くのを待ちながら、これを書いてる

鎮静剤は残り3錠
安いものじゃないから大切に飲んでる
身体に合うのか1錠でも効く

一日の清算を夜にしてはいけないらしい

本当は自分はビビってて
自分が出掛けるために着た服
整えた髪型
すべて自分の身の丈に合ってないように感じる
開き直って、
それから家に帰ってもずっと
冷静に考えないようにしてる

現実から目を背けてるだけ

多分こういうのってダメなんだと思う
こういう状態って良くないことなんだと思う
分かってはいるけれど抜け出せはしない

ゆっくりと身体が温かく感じる
薬ってすごい

2018年3月26日月曜日

manic

最近は何かをやらなければと思うようになった
それも、ポジティブな意味で。
何かを成し遂げるためには、まず動くことが必要だと思ったから
ちょっとした、いや長かったけれど休眠の時間から覚めたように
何かを始めようと思った。
何かをする、と言ってもそれはお金を作りたいということ。
3月に入ってちょっとしてからの間、自分は2月の間にやっていた方法での勉強をやめ、
しかも朝は遅く起き、起きてもご飯を食べてYouTubeを観て、ベッドで本を読んで夜になればバイトに行ってみたいな、腐ったような生活を送っていた。
その間に何かアイデアが生まれたわけではなかったし、というかある意味何も考えてなかった。
毎日30ページ程度進めていた、司法試験・予備試験の問題集も進めていなかった。実はそれは今も同じ。刑法のは一応1周やり遂げたものの、まだ2周目には入っていない。商法のは今はストップしたまま。このままじゃ、これもダメだとは思ってる。
今している勉強は、法律関係では一つは刑事訴訟法の一問一答形式の本と、上に書いた1周した刑法の問題の復習。あとは、今は仮想通貨について調べてた。この分野はいつまで投資家が本気かは分からないけれど市況を見る限りまだ活気がある。そして実は、この興味が続くのは忙しさも考慮すると新学期開始までだと思うけれど、コンピュータの仕組みについて簡単な本を読んでいる。ミちゃんも大学に入って情報学をとらなければならなくなるけれど、その情報学で使われる教科書があって、とは言ったものの情報学を受講する上でその教科書を開いた記憶というのはほぼない。しかし今になって読み返してみると意外とわかりやすく、興味さえ持って読もうとすれば面白く読める。おそらくほとんどの文系学生はこの教科書など一顧だにしない、というか購入さえしない人もいるのではないかと思う。けれど仮想通貨について調べ、その仕組みについて学ぼうとすれば自ずと興味が湧いた。まだよくわからないし、おそらくこれからも分かることは無いけれど、最も有名な仮想通貨の一つビットコインというのはその仕組みに「公開鍵暗号方式」という暗号技術を用いており、公開鍵暗号方式というのはインターネットの通信の暗号化にも使われる方式らしい。公開鍵暗号方式については実は、その情報学(肝心なところかもしれないがⅠだったかⅡだったかは失念、、肝心というのもⅠは必修でみんなとらなければいけないはずだから)の授業でも勉強する。しかし講義で学んだことはほぼ完全に忘れた。単位だけ取って知識が残らないのはなんとも嘆かわしいが、まあそんなものだ。
さておき、投資対象が株式であろうと投資信託であろうと仮想通貨であろうと、ネットバンキングの口座が必要になる事には変わりない。そこでまずはそれから始めてみることにした。
インターネット上の評価を参考にしたところ、住信SBIネット銀行というところがおすすめらしく、名前からしてメガバンク住友とSBIということで信頼できそうなのでそこに口座を持つことにした。
口座開設にあたって、また住民票を取りに行かなければならない。手数料もかかるし面倒だが必要なのでやるしかない。動かなければ何も始まらないというのは当たり前だが本当に大切なことだと思う。最近はそういう世の中でよく言われる当たり前のようなことの大切さを実感することが以前よりも増えた気がする。少し老けたのかもしれない。
ビットコインに投資(投機かもしれないが)することを決定したわけではないが、ビットコインの取引をするにあたっては国内で最も有名な取引所のビットフライヤーを選んだ。住信SBIネットバンクとビットフライヤーの組み合わせはどうやらベタ中のベタのようだ。だけど自分は初心者もいいところなので斜に構えず手堅い選択をしようと思う。まずは基本を学ぶことが大切。これも当たり前のことだけれど。

こんなわけで少しずつ動き出した。口座開設にあたっては確定申告についても調べる羽目になった。だけど自分なりに色々調べた。
余談だが少額で株式や投資信託に投資できるNISAという制度には非課税投資枠が確保されており、まあ少額のNISAでいきなり一攫千金はそもそも狙えないから心配する必要もないが税金についてあれこれと考えを巡らす必要が無く、その便利さを改めて知った。
自分のやらなければいけないことがこんな、目先の利益ではなく将来何十年にも渡るもっと大事なことであることは分かってる。
だけど動くことが必要なんじゃないかと思って。
最近、ベッドの中で腐ってても、何かしなきゃっていう思いが止まることは無かった。ただそれが具体的なポジティブな考えにつながることが無かった。焦るばかりで、頭の中の自分に尻を叩かれるような感じでどの勉強にも手が付けられなかった。一度目指した株式投資も、一応本を一通り勉強したものの自分の本当にやるべきことが違う気がして、実行するのをやめてしまっていた。言い訳ばかりで中途半端、これが自分なんだと思うと余計に不安が増す。ただ中途半端でやめただけのことをかっこつけてなんて言えないけれど、こうして諦めてしまったことは自分の中で腑に落ちて居なくて、一時期はチェックしていた日経平均株価や東証株価指数をみチェックすることも辞めた。というのも、もしあの時より注視していた銘柄の株価が爆上げなんてことになってたら、あの時始めておけばよかったという後悔に囚われるに違いなかったから。情けないしかっこわるいけれど、自分はマネーゲームに関しては負けず嫌いなのかもしれない。((こういう人間は投資に向いていないかもしれない?))
だから、今回も結局中途半端でやめてしまうのかもしれない。自分に期待はしてない。だけど今回はまず、少なくとも銀行口座を開く。そして何かに金を出してみようと思う。
最悪、ビットコインに関してはただ寝かせておくだけで価値がグンと上がる可能性があるから(保証はどこにもない、むしろ1円の価値も無くなる可能性だってある)、このまま伸び続けそうならバイトの給料のうち現金で貯蓄に回していた分をビットコインで積み立てておくのも悪くないとは思う。今はビットコインの値段が一時期より下がってるんだ。乗り遅れてはいるがそれでも今は買いかもしれない。
お金を使うと言っても、日本円という価値が別の形態に変わるだけであって、物を買うのとは違って金が減るわけじゃないからとりあえず心配しないで大丈夫。ただ、日本円や米ドルみたいな現実世界の通貨よりも価値の一日の変動は大きいと思う。
成功するかはわからない…全く。。
ただ、少しでも金を作るために実際に動き出すというのは、大袈裟な言い方だけれど、生産性0の惰眠を貪る生活よりもマシではあると思うんだ。

こんな感じで頭の方は少々復活したと思う。

心の持ち方を少し変えてみた。
自分は親の脛かじった半人前で、身分の低い存在だけど、それでもやっぱり頑張らなきゃいけないんだと思って。自分の情けなさが辛くても笑って、偉そうにして、粋がって、調子こいて生きた方が良いんだと思って。というか、そうしなきゃいけないんじゃないかと思って。
他人と同じように歌えなくても踊れなくても、気持ちだけは負けたらダメなんだと思う。
実は、こういうことを思って、この間ミちゃんに会いに行った日に、いつもよりも少しかっこつけたような格好で行ったんだ。服装は意識の表れ、みたいな言葉があるけれど、それを逆手に取った感じ。
けれどやっぱり自分を客観的に見ると苦笑い、っていう感じ。自分の中では背伸びをしている感じ、我に返るとダメ。
まあ実際、本当に調子に乗るわけでも偉そうにするわけでもないんだけれど。なにより、やっぱり自分にはそんなことは本当にはできないから。ただ、意識という話ね。


ここまでの話にひとかけらでも説得力があるとしたら、それをすべて覆すようなことを言うけれど、こういう割と前向きな考えを持てるのも一時期だけだと思う。
またいつか卑屈に陥って、どんよりしたブログを書いてると思う。
そして、今この時自分が思っていたことを後悔し、馬鹿にしてるに違いない。
自分はいったい何を言っていたんだ、考えていたんだ…と思ってるんじゃないか。
自分の中で、ポジティブな自分っていうのは馬鹿か投げやりかの二択で、蔑むべき対象だと思ってきたから。
でもまあ、後の自分に馬鹿にされることは確か。
そこまでがテンプレート。
でもそこまで分かった上でこうやって言ってる。
ただ後悔するときは苦痛でしかない。

まただいぶ長くなってしまった。
最近は眠る前に色んな事が頭に浮かぶ。それらは決してネガティブなことだけではなく、例えば金を作る方法を模索したり、現実世界の色んな問題を考えることもあれば、この間話したみたいに2進数を用いることで指で数えられる数が大きく増えることに気付いたり、そのほかに数学的なことを考えたり歴史のことを考えたりして問題にぶち当たったり、刑法の問題を考えてその適用罰条が刑法第何条だったかが思い出せなくて気になったり…みたいなことを考え(というか勝手に頭に浮かんで止まらない)、それとか行ったことのない場所の風景が頭に浮かんだり、会ったことのない知らない人の顔が突然頭に浮かんだりする。。そうした風景や顔はすぐに流れていくので記憶に残ることはほとんどない。
こう書くとヤバい人みたいに見えるかもしれないけれど、実際は全然そんなことはなくて、ただ眠りにつくのを妨げられる感じ。頭のオン・オフが効かないようで。

なので今日も鎮静剤(パンセダンという佐藤製薬の比較的安い、ハーブ由来の成分でできた作用の緩やかな薬)を用量に従い2錠飲んでベッドにつきます。
実は焼酎を少し飲んでいるけれど、問題ない。昨日も焼酎でパンセダンを飲んだけどしっかり効いた。

本当に、長くなってごめんよ…
会うのを楽しみにしています❤
それでは、おやすみなさい。


2018年3月17日土曜日

naive

貴重な時間をたっぷりと寝て過ごし毎日のように後悔し馬鹿みたいに無駄に穀を潰し
教科書を開くでもなくラップトップを開きYouTubeでくだらないゲーム実況やら観て
日が暮れればシャワーを浴びてパチンコ屋の残り香の染み付く体を洗い
こんな自分には大層贅沢なリーバイス501に足を通し椅子に座りぼうっとする
自分はなんて馬鹿なんだろうって毎日ループする思考
凝り固まる部屋の空気の中で息を潜める腐ったような自分

ステイサムのハミングバードを久しぶりに観返した今日
別に元気づくような映画じゃないが自分もどうにか自分に鞭打って頑張ろうと思いつつ
ラップトップを閉じてリハビリのように刑事訴訟法の問題を取り出し六法を開く
重要なことは思ったより忘れていなかったことに安堵、
生きながらにして死ぬような休息は体も心も蝕む
頭がはっきりしている内は何かから逃げられない

情けない自分を馬鹿にするだけで認められないのは
自分にどうしても自信を今、持つことができないのは
自分で飯を食っていけないから
できることなら今すぐにでも最低限、自分で生活するだけの収入が欲しい
自分が養われている、扶養されているに過ぎないということがここまでも恥ずかしく
ここまでも苦しいことだと感じたことは無かった
でも不可能なんだ、少なくとも相当苦しい、
自分の生活費、学費をすべてバイトで賄うのはかなり難しい
働くことに時間を取られ勉強さえ十分にする時間がなくなる
大学に入った時は親の脛を齧ってでもこの期間に学ぶべきことがある、と勝手に割り切っていたものの
プライドは微塵に砕かれ、自分が情けなく見える
今やそういう現状に潰され、
このまま勉強していてもこれでは足りない、それにこれがどういう形で報われるのかも分からない、
更に自分が将来ちゃんと働いて一人前になれている自信もない
月15万のペイでさえ今の自分が働いて生み出せる額とは思えない
もっと言えば今貰っている月4万程度でさえ、この自分が受け取るには多すぎる気さえする
自分が生み出せる価値なんて精々2,3台の自動販売機の釣銭口を漁って手に入る額じゃないかとまで思う
自分は所詮養われている、という感覚が重すぎて家にいるのも肩身が狭い、
そして問題はそれに尽きず
やはり親との折り合いの悪さ、
単純に自分がひねくれただけなのかどうしても
一緒に居て同じものを楽しむことが苦しくて
今に始まったことではないが肩身が狭いとこれは余計重く感じて
親が嫌いだ、なんて中学生みたいなことは馬鹿みたいなことは言いたくない
でもどうしても好きになれない、確かに自分をここまで育ててくれたのは分かってる、
自分を大学に行かせるために働いてくれてるのも分かってる
自分のためにしてくれているすべてのことをちゃんと分かってるし気持ちも伝わってる
だから感謝はしている
理屈の上では自分でも説明できない、ここまで書けるなら自分は親に変な感情は抱かないはずで
何が間違いだったのだろう、自分はどこで間違えたんだろう
今自分が見ているものと親が見ているものは違って、
自分が感じていることと親が感じていることも違う
何に対しても自らの感情を第一にして物を言う母親が子供にしか見えなくて
自らが正しいと信じて人の話を聞かない姿にも懲り懲りで
小さい頃自分の中で大きかった母親の姿はもう自分の目には映らない
小さい頃は自分に向かってた母からの怒号がいつからか父親への罵声に変わり
そんなのを聞くのも懲り懲りで
中学、高校の頃は部屋でそれに耐えてて自分に向けられているでもない大声が不快でたまらず怒りを我慢して、いつか耐えかねる寸前で涙が浮かんだ日もあった
それがもし普通の夫婦の姿なのだったとしたら自分があまりに弱すぎただけ、これもまた情けない話
そうやっていつからか距離を置くようになって
人の感情が爆発する瞬間がトラウマのように脳裏をめぐるから自分は自分の感情を殺してでもなるべく平和を保ちたいし人を傷つけたくない
事なかれ主義、人畜無害
だけど自分のこういう話なんて本当によくある話で自分が特別だと思ったことは本当に一度もない
自分は恵まれてる方だというのはよく分かってる
だから結局は自分がこういうのに耐えられなかっただけ、
結局自分が弱くて情けないせいで親を素直に見られなくて今なおそういう親に養われている自分が嫌で仕方ないっていうゴミみたいな話
全ての子供がそう、親だとか誰かに養われないと生きていけない憐れな存在、惨めで憐れで汚くて情けない存在
そう考えると一体どうすれば子供のプライドが守られるのか
プライドなんて高尚なものを持つには自分を養えるようになってから?
でもそれじゃ遅すぎる、そんな肩身の狭い身分でも粋がって強がって成長した人間が社会に出て上手くやって活躍するに違いない
でも逆に言えばそこから粋がりも強がりも抜いた残滓は結局社会に芽を出すことはできず腐って枯れていく
明日は我が身かと思えば冷や汗が出る、今から自分は強がってでも勉強して将来自分と大事な本当に大事なミちゃんを養えるようにしなければいけない
そしてこの家を抜け出さなければいけない
根に持ってるわけじゃないがこの間の自分の誕生日のことを忘れてはいない
でも不思議なもので具体的な記憶というものは薄れる
残るのは不快で錆びた鉄のように冷たい嫌悪感

他人が聞いたら笑うような話だと思う
よくある一般家庭
自分が弱くて曲がっただけ
人の顔色窺うビビリな間抜け
余計に良い子ぶって大人を騙して評価を得ただけの上っ面だけの能無し
そのすべてのツケが今
この歳になって厄介なものとして回ってきて
反抗こそする気は全くない、というかこの身分で親に反抗なんて何様のつもりだとさえ思うが、季節外れの反抗期みたいな複雑な感情

それでも夜は更けるし朝は来る
明日というか今日のディナーを楽しみにし来月の写真撮影を予約する母親の姿が悲しい
非情になれない自分の弱さ
まあこの身分で親に対して非情になるだなんて何様の…という感じ
でも弱さを貫くくらいの強さは自分にはまだあるはずだから頑張ってこようと思う


今回はこんな内容で申し訳ない
何よりこれを読まれるのが恥ずかしい
ダサいけどこれがチの頭の中なんだ

ごめんよ



2018年3月9日金曜日

2018年3月5日月曜日

💌

なんとなくお手紙を書いてみました。
これもいつものブログということで、なんというか、同じ感じでお手紙を書かなきゃと思わなくていいんだからね!
みえるかな?💦
チのいつもかわいいらぶみみちゃん…


2018年3月2日金曜日

ショボ(´・ω・`)ーン

夜の12時に寝て
午後3時前に起きて
ごはんたべて
雪かきして
シャワー浴びたら
もう夜になってた

なにこれ(´・ω・`)

2018年2月25日日曜日

empty

書くことはたくさんあるような気がしているのですが、
何も書けないのです。

ぐちゃぐちゃのベッドに横たわって、
閉め切ったカーテンの隙間から暖かい日差しが入ってきて、
グノシエンヌ第5番が流れている。

チの日常というのは、
大体そういうものなのです。

2018年2月17日土曜日

🐤✖

自分というものがすごく小さく感じて
ダメに感じる
自分は幼くて
自分でちゃんと金を稼がないと
この家にいるのがとても、肩身が狭くて
押し潰されそうになる
今は勉強しないといけないから
バイトばかりしてる暇もないし
でもだからといって
そう言い切れるだけの努力をしているとも言えず
でも時間はなくて
実質的な勉強時間はあともう1年しかなくて
それで将来を決めないといけなくて
結果が欲しい
自分が生きることを許されているということを証明するための結果…
肩身の狭い思いをせずに生きていたい
仮に生きているなら、の話だけれど
大学なんて行かない人生でも良かったのかもしれない
俺に比べれば中卒で土方やってるような奴の方がよほど立派に見える
俺は何でも中途半端で
親の脛かじって、
もっとするべき努力も中途半端にして
本当に到達できるかすらわからない結果を追ってる、ろくでなしで
その癖世の中を知ったような顔をして、家の中で腐ってる
本当は何も知らないのは分かってる
世の中の人間の多くは自分より恵まれてない環境に居ることも分かってる
俺は得るべきものを得てきたはずで
みんなが望むような環境は俺には整えられてたはずだった
だけど俺がどこかで失敗した
もう遡ってもわからないくらい何年も何年も前に自分が曲がった
自分だって曲がりたかったわけじゃないけれど
何かが俺をこういう人間にしてから俺は腐り始めた
そうじゃなければ俺は満足してるはず
自分の何が問題だったのかを考えることなんてなかったはず
俺の周りの色んなものは間違ってなんかいなかった
俺以外のすべては常に正しかった
それはきっと今もそうで
俺だけが間違えた
何が原因なのかはわからない
けれど自分がダメなのは確か
胸を張って外を歩きたい、
それが叶うのがいつになるか先は見えない
すべてを中途半端にしてきた罰がこれだとしたら
まあこれは当たり前のこと
受けるのは当然
刑の減軽事由なし、
情状酌量の余地なし…
他のみんなが犯して来た罪は
俺より重かろうと軽かろうと
刑の減免事由あり、
それは仕方のないことだった
世の中は「仕方ない」で動いてる
どんな犯罪者もその犯罪を犯さずにはいられなかったからそれを犯しただけだ
というよりもむしろ、
犯罪が犯罪であるのは法律があるからに他ならないのであって
法律がなければ犯罪はない
犯罪を無くす最大の方法はすべての法律を無くすことだと言える
法律さえなければ犯罪者は犯罪者じゃなくなる
でもその後残るのはそうじゃない人たち
法律に定められていない罪を犯した人たち
正義やら倫理やらは犯罪を規定する
人を殺してはいけないのはなぜかということを説明するのは難しい
なぜ人を殴ってはいけないか
なぜ死体を遺棄してはいけないか?
生きた人を遺棄するのと死んだ人を遺棄するのは両方刑法上の犯罪だが
意味が違うのはなぜか?
本当に論理的に説明できる人なんていないだろう
刑法典なんて妥協の産物だろう
国民の間で「上手く説明できないけれどこれは悪い」とされていることをかき集めて
そのなかで国民の多くが「これは悪いことだ」と思っていること、
そうしたコンセンサスが形成されていることを民主主義の大義名分のもとで
最低限これらは悪いことだから処罰の対象とする、
だってみんなの多くはこれを悪いことだと思っているんだから文句ないでしょ、と
俺は刑法典などその程度のものだと思っている
民主主義とは大層ご立派なものだから
民主主義の要請なんて言われるものに歯向かうなんて
「馬鹿」のレッテルを張られて終わり
民主主義を掲げる過度なパターナリズムはいらない
大麻の栽培とそこからの収穫だけJTが管理して
大麻製品の製造業者を簡単な届出方式にして
所持・使用に年齢制限を設けて合法化すればいい
大麻を合法化して困るのは暴力団くらいじゃないのか
大麻やら覚せい剤やらを取り締まる法律で結局守られてるのは国民よりも反社会的勢力なんじゃないのか
だってやりたい人間はそれが違法でもそれがハスラーの資金になることを知ってても売人に高い金を払ってそれをやるし逆にそれがやりたくない人間は例えそれが合法だとしてもやらないんだよ
なんて偉そうなことを垂れ流しながら
自分にはこんなこと言う資格はないって思って
またベッドに沈んで、くまさん🐻抱いて
朝が過ぎて昼頃、寝過ごしたと思って起きて
なんていう馬鹿みたいな一日を過ごして
その癖将来を心配して
こうやって間抜けな醜態を晒して
自分が本当に幼くて、でもなかなか現状は変えられなくて
どう足掻いてもこのまま頑張って勉強する以外にまともな道はなくて
色々考えた結果出る言葉は
「まあやるしかないか」以外なくて
思い上がった自分の愚かさと
今もっとやらなきゃいけないはずのことに100%頑張れていない自分の愚かさで
自分を馬鹿にしながら、
自分を笑い者にしながら
とりあえずまたベッドに入る

どうせなら世界がすべて滅べばいいのに、なんてみんな考えたことがあると思う
すべて平等に無くなるなら、
今こうしてみんな不平等に生き永らえてるよりもはるかに平等だから
すべての人間が1人残らず滅んだ後に流れている音楽は
やはり好きだからだろうか、サティだと思う
ジムノペディでもグノシエンヌでもいい
明るい曲もそれはそれでシニカルに響くだろう
なんてね
そんな世界で音楽なんて、流れてるわけ無いけれど
ミちゃんがくれたあのロジェのアルバムを、好きな曲を流したほかに、
最初から最後まで何周かした
やっぱり素敵だった

サティについてさえ俺は全く批評など畏れ多くてできないけれど
例えばグノシエンヌの5番みたいに、陰鬱とした中に突然明るい曲が入ると
なんだか病的なものを感じる
ジムノペディの後に聴くJe te veuxも同じような感じと言えるだろうか
躁鬱病患者の胸中って似たようなものがあるんじゃないだろうか
今でいう双極性障害か
完全な躁状態ではないが、どこか躁が入ってるような感じ
なんとなくだけれど、
とても分かる気がするんだ
グノシエンヌ第5番は単体で聴いても素敵だけれど
1番から通して聴いて6番まで聴くと
そういう世界観を味わえる
これは冬がいい
晴れた冬に、暖房を焚いた部屋で…

なんて

長々とブログを書いちゃったりする自分が居る





2018年1月29日月曜日

L'essence du chagrin

テスト勉強に追われる中
全く自分は今まで何をやってたんだろうと思いながら
それでもなんとかやる気を出して読み、書き、覚えた(つもりの)土日だった
商法は明日(既に今日)試験だけれど、今までの自分を頼ってあまりやっていない
どんな問題が出るんだか…普通の重い論述だけとかだったらきついな
民法は基本事項を詰め込むのに時間がかかって、結局中途半端
終いにはヤマを張る始末…情けない
本当に今まで何をやってたんだろう
火曜日の科目はやったつもりでいるけれど実際結構まずいんじゃないかって思う
単位を落として来年再履修だなんてそんな目には遭いたくない
1つでも落としたら負けだと思ってる、それに単位を落とすと全体の成績評価に大きく響く
…前期の成績を維持したいし、それに平均よりは上でありたいと思ってた
というか周りより抜きんでていないと、自分に将来はないと思って
…ストイックに聞こえるかもしれないけれどこれは事実で
何かを目指すなら他の追随を許してはいけないし、誰にも負けない知識を持たなければいけない
少なくとも堂々とそう言えるほどの努力をしなきゃいけない
誰にも真似できない哲学を持って、自分だけの道を自分の手で拓かなければいけない
周りと馴れ合ってる人間は所詮周りと同じ道しか歩けない
誰かが拓いた道を歩くとき、その道を拓いた人間は既に自分より先に行っていることを忘れてはいけない
((ちょっとここから物語風(?)の偉そうな(?)記述が続いたので今回それはカット…後日公開するかはまた後日決めます))

まあこんなことを書いている暇もないんだけれど

何だか最近、と言ってもここ何か月か
「悲しみの本質」をなんとなく掴み始めた気がしている
(今回のタイトルは「悲しみの本質」をピヨチなりにかっこつけて😎フランス語で書いてみたんだけどあってるかはわからない。)
自分の思う悲しみなのだろうか、それとも一般論なのかはまだわからない
けれどあくまで抽象的に、悲しみってこんなものだと思う、
悲しみっていうのは、「何かがあるべきところにない」ってことだと思う
「ある」っていうのはもちろん物理的な意味ではなく、でも一方物理的な意味でもこれは十分に通じて
抽象的な意味でね、色んな「悲しみ」や「切なさ」みたいなものを捉えると、
事例によってはかなり抽象化していくと、何かが「あるべきところにない」ことで一致することが多いと思うんだ
今のところ自分の見解はこれで一応固まってる
「悲しみ」って説明できないものだと思ってた
もちろん具体的には定義できない
だけど抽象的に、きっとこうなんだと思う。






2018年1月11日木曜日

MMXVIII

2018年

閉めたカーテンの隙間から太陽の光を覗いた
そのことを忘れないように生きる日々
眩しい光を睨む
深い闇に瞳孔を開く
でもそれが正しいことだと知る
冬の澄んだ夜空に浮かぶ星
セブンスターの煙越しに眺めるオリオン座
この地球から見る星空と同じ星空を、ベテルギウスから見ることはできないと知る
カーテンの内側の世界と外側の世界