2016年11月1日火曜日

anxiety 6

俺は毎日、何気なかったり、何気なくなかったりして生きている。
何かを気にしていたり、何かについて考えたりしている時間の方が、長いことは確かだ…
それはもちろん君のことであったり、それとか自分の周りで起こる瑣事であったり
多岐に渡るけれども、
俺はまた、違うことも考えてはいる

それは、金を作るということだ…
とても難しい、
今はパチンコ屋の夜間清掃で月3万円ほどの収入を確保しているが
それだけでは事足りず…
というか、実際こうして過ごしているだけでは事足りる
だけれど、例えば、一人暮らしをして、自分の家賃、光熱費、食費とかを賄えるほどの収入には、全く及ばないことは考えるまでもない。
大学生でそこまでできるほどの収入は得られない…と思うが、果たして本当に、そうだろうか?
世の中にはたくさん稼いでる人がいる、
みんなが持ってる時計が刻む1秒は、同じなはずなのに(地球の場所によって厳密には違うんじゃないかとかは言わない)、
みんなが得ているものは全く、平等じゃないんだ
俺はその、多く得ている人の側に行きたいわけだ

けれども俺は、一方で、なぜそんなことに憧れるかというと
俺は単純に、金が欲しいってわけじゃない
ではなぜか?
それは、
自分の尻を自分で拭けるようになりたいからだろう

俺は自分のしたことの責任を誰かに取らせたくはないし、
誰かに取ってほしくもない
俺は自分でしたことの報酬も責任も、
すべて自分の身で受けたい
((給料は全部自分のものとかそういういみじゃない))

だけど、金がなければそんなことはできない
あと俺に足りないものは、金だと思う
でもそれは金持ちになるための金じゃなくて、
あくまで自己実現のための金だ

男ならある程度の歳になれば、みんなこう思う
だけど多くの場合、そう思うのが若すぎたりして行き過ぎた真似をする
しかし今の俺はどうだろうか?
何かを成し遂げるには俺は十分な土壌をもっているといって過言じゃない
俺は過程はどうであれ、何かを達成するに値する場所に立っているんじゃないか?
だけれど、大学に入ってからの俺はあまりに腑抜けてた
4月になって突然インフルエンザにかかってから、俺はしばらく出鼻をくじかれたつもりでいたし
前期は怠惰で、単位をあまりとらなかった
そのせいで後期が忙しくなって、今になって真面目にやろうとしてる
だけど立て直すことはとても大切なことだと思う
俺は時々思う
人はみんな何かをしなければならない、だけど人はその中で、何を自分自身のために獲得してきただろうか?
忙しくとも、忙殺されてはいけない
タスクをこなすことに必死で、そこから何も得られないんじゃ意味がない
忙しくとも、自分の為すべきこと、得るべきことをしっかり見据えて人生に臨むべきじゃないか?
人は、といっても俺はこの歳だ、たくさんの人を見てきたわけじゃない
だけど、少なくとも俺は、忙しい時に何兎も追って半兎を得、暇なときに一兎を眺めて惰眠を貪ってた
それを今になって急に改めよう、ってわけじゃない、もちろん改めるべきだけれども、
少なくともまずは、改善の意思を持つことから始めよう、とまた自分を甘やかす
しかしとにかく、追った一兎を確実につかまえなければいけないことに気付いた
俺は色んな兎の肉をちょっとずつ揃えて、あたかも兎のすべてを漠然と知っているかのように話しているだけだ
付け焼刃の知識ばかりで、自分には何の専門もない
そして、さらなる一兎を追うための一兎をつかまえることにも怠惰で
俺は結局、何も、成し遂げられてはいなかった
俺はもっと、自分の理想を成し遂げるための努力をするべきだ
俺は早く実を結びたい癖に、肥料を吸わない悪い木だ
早い収穫を望む前に、まずは青い実をつけなければいけない

でもこのプロセスじゃ、俺は間に合わない
とにかく本当に、目の前に金を作り出す方法を考えることが必要だ
この俗物根性は、同じ高校の人たちにはなかったようなものだと思う、
とても褒められるようなものではないけど、これは悲しいかな、また俺の一つのアイデンティティであるわけで


しかし、俺はこうとも思う
結果論ではあるが、結果的に自分の理想を満たす金をずっと作り出せずにいる者は、その理想を持つに相応しくないのではないか?と
つまり、俺が金を得て理想を成就できないのは、俺にまだその器が備わっていないからなのではないか、ということだ
それは確かにそうではある、
俺は自分がどこまで大人になっていて、どこが子供なのかも正確に把握してはいない
金は本当に、自己実現の手段だ
そういう人は世の中に多い、
ある人はその虚栄心を満たし、
ある人は自分はもっと評価されるべきであるとして、その尺度に金を用いる、或いは既に自分の力で得た金を、それが自分自身の価値であるかのように誇る
俺は果たしてどれかな、どれになるかな

そんなことわからないよな

俺は自分がもっと評価されるべきだとは思ってない
むしろ世間一般に評価されることは侮辱に等しいという、小便臭い価値観も持ち合わせて居るよ

そんなことはどうでもいいけど

自分の最終的な理想を叶えるのに邪魔なプライドや価値観は捨ててしまった方が得策なこともあるだろう

けれど、どれが自分の選ぶべき道かも決めていないのに、取捨選択をすることができない

俺は本当に、自分の尻を自分で拭けない生活が嫌になってる
俺は自分の手で、何かを築きたい
君との生活とか、幸せとか
自分の力で作った土台が欲しい
それはやっぱり、経済力は切り離せない
経済力は、精神的にも、現実的にも、生活の1つの重要な部分であることは認めざるを得ない
君を護ることだって、今の俺じゃ事足りない
同じところに住んで、同じベッドで眠る生活を、今の俺じゃ、作り上げることはできない(経済的な意味で)。
そういうところに少しずつ、自分の苛立ちがきてる
「自分の力で」っていう思いが強すぎるのかな
俺は自分の力で君を支えて、幸せを形にしたい
自分で耕した土の上に、花を咲かせたい

自分の無力さが恨めしい


一つ言っておくが、俺と同じように思わない男は全員タマ無しだ

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