2016年11月22日火曜日

catharsis?

俺は自分が何かを達成できる、とか
肯定的な意味でなくとも世間に認められる、とか
そういったことを信じてはいない、一方で
そういったところに夢想を抱きつつもいた
しかし結局陳腐だ、俺はもちろん今の時点でもそうだが、卓越してなどいない

まずは、金をつくるにも、何かを達成するにも、そもそもそういった邪念を捨てて打ち込める何かに取り組むべきだった
例のコントじゃないけど、邪念を捨てようということ自体邪念なんだ
この邪念は、今まで使ってきた色んな意味での邪念と離れるけど…

自分の関心事を、掘り進めること
それが、今の俺にできる、将来をつくることかもしれない
俺は多くの時間を考えて過ごす一方で、
結局それにとどまっている、
具体的なことを進めていない、口先だけの男
俺はそれじゃやっぱりだめだ

君が目の前のことに今、目をむけようとしている(というよりか目を向けざるを得ない?)ように
俺にとってそれは、将来に向けて何かをするということ
俺のする勉強とは、そういうものだ

俺はそして考えた、自分は何をすべきか…
そもそも、自分の将来の像が描けないのに
何かをする気にならないのは当然であって
だから、俺は考えた
その結果
やっぱり俺は、広い業界で生きていくことはもしかしたら、難しいかもしれない
性格上、例えば何かの専門職とか、比較的狭い世界で生きていく方が性に合っているかもしれない
だから、例えば今の関心事であるような、国立大学法人化に関することとか
そういったことを、自分なりにいろいろと研究してみるのも悪くないかと思った
実のところ、国立大学法人化に関することについては
1学期から少しずつ自分の中に、細かい知識が少しずつ蓄積しているのが何となくわかるんだ
教育分野は、今や教育学者だけでどうにかなる時代じゃないと思う
特に、今の大学改革なんかは、厳密な法の視点からの指摘、介入が必要だと思う
だから、別に教育学部の人間じゃなくても、そういったことについて関心を持つのは強ち無駄ではないかなって。
刑法は一時期、自分の性に合う…かと思ったけど、俺はその世界でやっていけるかわからなかった
恥ずかしい話、俺は自分のメンタルが持つかわからないんだ。
その業界に居れば、色んな事件とかを扱って、見たくない、聞きたくないようなことだって扱わなければいけなくなる
心を貫くような、
何か侵されるべきではないものが侵されるような
しかし教育分野に転向すれば、誰も傷つかなくて済むはずだ
そうも思ったよ、
俺は自分の感じたくないものを感じずに済むんじゃないかって
別にこれは後付けの理由だけどね。

何か、不理解が災いをもたらしていることを見ると、心が痛む
女々しくてごめんよ…
実はそれもあって、Twitterのアカウントを消したんだ
別に自分は高みの見物をしていたとか、そういうわけじゃないけど
不理解、無知、偏見
そういったものが、何かを不当に扱い、不当に理解し
見たくもない出来事を、より糞みたいにアレンジする
そんな世界と、同じ空気を吸っているのが嫌になってね
それで俺は美咲以外の人から見れば、事実上、Twitterを辞めることになったんだ
俺は別に、自分が特別な感性を持ち合わせて居るとか、そういうことを言いたいわけではない、
それにそんなことは美咲は分かってくれていると思う、
これを見ているのはそもそも、美咲だけなんだから…
ただ、分かってほしい。。

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