ここ最近の俺は戸惑っている
俺はいったいどんな生活をしているのか
俺は時間をひたすら過ごしているだけのようだ
俺の時間はまるで、蛇口を解放された水道のように
ひたすら、流れている感じだ
その水を飲みたかった、或いは飲みたい人はたくさんいるのに
俺は1人で過ごしている時間は、それを無駄にしている
まあこれもまた、俺の所有物だから
どう処分しようと、結局のところの損得はすべて、俺自身のところに帰ってくる
大きなものに対峙する小さきものの恐怖
偉大なるものに対する畏怖
恐怖に屈服するか、それを克服するか
生きている中で、その選択がほぼ限りなく自分の前に突き付けられる
決して物理的な意味合いに限らないが
往々にして、小さきものは大きなものに屈服せざるを得ない
俺も何かを克服し、何かを征服し、一方数多のものに跪いている
しかし人には、尊厳というものがあり
跪くことには時折、多少の葛藤を抱く
今の俺は跪くことの対価を別のところで支払っている
そうすればいつか体に無理が来る
俺は恐怖に昏倒することはないだろう、ただ
自分の借金を返しきることができるかどうかは、分からない
俺はなるべく自分の借金は返す、
色んな意味で
"決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じられた。
そこで、この僕はひれ伏して哀願した。『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。
その僕が出ていくと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言った。
しかし、承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。
そこでこの主人は彼を呼びつけて言った。『悪い僕、私に願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。"
(MATTHEW 18:24~34)
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