何か神聖なものに頼れば救われる気がした
それで俺は午後、思い立って、部屋にある新約聖書を読んでた
けれども俺はそもそも基本的に神なんか信じてない
都合の良い時だけその存在を引っ張り出すに終始してる
それに俺は自分が救われるべき人間だとは思えない、
救われたいけれども、俺はそれに値しない
実際大したことはないけれど、キリスト教の世界では俺は多分既に罪深い
世界に俺のような青年は掃いて捨てるほどいる、
でも彼らはきっと救われようともしてないだろう
俺はもう姦淫をしたし、あくまで日本の法だけれども酒や煙草に関してアンダーエイジだし、
あと俺は人を差別する
だから望みは絶望的だよ、それにだからといって、俺は自分の生活を改めようともしないしな…
何が悪いんだって思っちゃうんだ
だからとにかく、まあ本気でその教えに縋ろうと思ったわけでは全くないけれど、聖書を読んでそう思った
きっとこれに関する問題は、罪があることではなく、それを悔い改めないことだろうな…
一方俺の色んなものに対する侮蔑はいよいよ大きくなってる
一日でも部屋に籠ってるとこうなってしまう
自分の思考の殻に閉じこもった俺は自分でもわかるほど面倒臭くなる
内側から腐ってしまう
部屋の外には愚かさが蔓延っていて
自分の部屋がそのシェルターであるかのように感じる
実際俺もすっかり、世の中の狡知に感化され、その愚かさにすっかり薫陶されてしまっているんだけど
俺も愚か以外の何でもないし、周りの色んなものに軽蔑のまなざしを向ける資格がないのは分かる
今これを書いているととても恥ずかしい、でも時々こう思うから、敢えて今書いているけど
俺は自分が新たな段階に突入しているような、していないような気がする
よくわからないけど
ただ一つ、これは少なくとも、俺たちにとって悪いことではないだろうことは、なんとなくわかる
思うけれども、俺、というか俺たちは、外に居る時も大体、心は中に籠ったままだと思う
それが良いことか悪いことか、とかそういうことじゃなくて、単純に
会ってるときは大体、俺たちの心が同じ部屋に入ってるってイメージかな
だから俺は一人でいる時も、自分の中に常に心がある
心に外の空気を吹き込むことも、大事だと思うんだ
今の俺にはそれくらいの余裕を持つことが必要だと思う
それでも君を置いて行くことは絶対しないから、安心して
俺は考えに何か新しい要素を取り込まないと、弱冠18歳にして心が変な形で熟して
ひいては腐ってしまう
自分では分からないけど、まあもしかしたら、既に腐りかけてるかもしれないけどね
でもそれも俺にはいいことか、悪いことかはわからない
それに別に必ずしも、悪いことがいけないことでもない
こう考えてる時点で俺は結局、自分の頭の中から抜け出すことはできないかもしれないけど
やっぱり俺はこういう風にデザインされて生まれてきたのかな。
まあなんだかんだで、俺はこのままだと思う
東京お疲れさま
本当に、ね
0 件のコメント:
コメントを投稿